……白い、昼の光が教室に差し込んでいる。
ここは……魔術学校の大教室だ。
昼食後に受ける午後の授業のまどろみの中、真鍮眼鏡を光らせたオーストーリー・バロメッツ教授が、杖でコツコツと教室の床を叩きながら歩き回っていた。
『えー……前述のように、この磁場呪文 《ノーザンクロス》は、望む場所に磁極を発生させる呪文である。地面、物体、生体、あらゆる場所へ打つことができる。呪文によって作られた磁極の強さは、術者の力加減はもちろんのこと、物体の性質によっても変化する』
ショーンは何とか教授の説明を耳に入れつつ、【星の魔術大綱】に書かれた文字を目で追った。
『また 《サザンクロス》は望む場所の磁極を反転させる呪文である。これは通常の磁石に対しても効果的だが、もちろん 《ノーザンクロス》で発生させた磁極にも使える。それが主目的といって良いだろう……』
バロメッツ教授は、重いローブと髪をスリスリ引きずり教室内を歩いている。ショーンは眠気覚ましにペンでかしかし頭を掻いた。
『磁場を発生させる対象として、最も確実かつ有効なのは地面である。地面に含まれる鉄を利用し、呪文効果を発揮する。また通常の物質の場合、磁石にくっつく物質——つまり鉄、ニッケル、コバルトといった強磁性体の方が、反発あるいは吸引する力は増す。逆に反磁性体——たとえば水、そして水を多く含む生体などは、微妙な効果しか得られない……』
教授は長い棒磁石を胸ポケットから2本取り出し、カチャカチャと反発させたり引き合わせたりした。ショーンはふわっと欠伸をした。
『《ノーザンクロス》および 《サザンクロス》は【星の魔術大綱】に収録されている磁場呪文の中で、最も強力な呪文のひとつだ。北十字星と南十字星から名付けられている。名付け親はタクソス・エクセルシア。彼はエクセルシア家では珍しい男性の呪術家で、さらに天文学者で占星術家でもある。彼は方位磁石で星の位置を確認している時に、この呪文を思いついて作り上げた。タクソスの呪文の多くは、思わぬ効果に星の名前が付いている。必ず他の呪文も併せて覚えておくように』
彼は、コッコッと杖の先で数度叩いた。
『物理学の授業で学んだように、磁力の強さは、それぞれの磁極が持つ磁気量の積に比例し、磁極間の距離の2乗に反比例している。呪文で発生させる磁力も同様の調整が必要で、マナの消費量もそれに伴い変化していく。計算式は大綱を参照のこと』
生徒たちは慌てて大綱に書かれた表を見直した。ショーンも見直したが、算術とは疎遠な関係なので、顔の皮膚がクシャッとなった。
『磁極は、必ずN極とS極の両方が発生する。《ノーザンクロス》は磁場を生み出す際、どの位置をN極そしてS極とするかは、強く意識する必要がある。また 《サザンクロス》は磁場反発呪文と呼ばれるが、これも反転させる際に磁極の違いを把握していなければ、逆に吸着する結果にもなりうる』
ショーンの脳内では磁石の形をした小型掃除機がブオーンブオーンと唸りをあげて、N極とS極のスイッチを切り替えるたび、枯れた落ち葉を吸ったり吐いたりしていた。
『双極の把握はマナによって判断することが可能だ。《ノーザンクロス》および 《サザンクロス》は呪文を打つ際、ただ磁極の発生や反転させるだけではなく、N極とS極の把握も同時に行うため、マナの消費量が多めに設計されている。タクソスはこの呪文の初お披露目の際、大きな荷馬車を2台使用して詠唱を行って見せたが……諸君らはまず、このボタンで練習してみよう』
バロメッツ教授は、制帽のボタンをチラチラ見せた。ボタンは呪文練習によく使うので、魔術学校の生徒は、常に10個近くジャラジャラと持ち歩いている。ショーンも2つ(2個しかポケットに残ってなかった)ボタンを取り出し、表に載っている1番少ないマナ量を使って、呪文を唱えた。
『諸君。この呪文は磁場の強さ、位置、磁極と、非常に多角的な情報判断が求められる呪文である。あらかじめ、己の望みをきちんと決めてから詠唱するように』
トン、と教授の杖が鳴ると同時に、一斉に辺りから光と言葉が溢れた。天井にバツンと吹っ飛ばす者もいれば、他人のボタンと引っつき合って、取れなくなった者もいた。ショーンはこれ以上ボタンを無くせなかったので、ボタン同士がくっつき合うよう慎重に計算しながら、磁場発生呪文 《ノーザンクロス》を発生させた。
大教室はしばしの間、生徒の詠唱が鳴り響いた。教授はコツコツと机と机の間を縫って、呪文の指導に回った。ショーンの机もちらりと見た。彼は運よく、二枚貝のごとくボタン同士を “ピタリ” と合わせられたとこだったので、教授は長い顎髭を触りながらニッコリ頷いた。
教授の顔を見てショーンはホッと一息したところ、先生はそのまま親指と人差し指をクルンと回して、反転させるポーズを取った。すぐに顔が固まったショーンは、ボタンがどこかへ吹っ飛ばないよう、眼球に全神経を集中しながら 《サザンクロス》を唱えたが……成功する前に、教授はもう次の机へと移っていった。
その後もボタンは机の上を元気に飛び交い、最後にゲオルギーのボタンが、バロメッツ教授の顎髭へ勢いよく潜り込んで──実技が終わった。
『よし、もう良いだろう。この呪文は磁場系の呪文の中で最上位のものだ。今うまくいかなくても問題はない。もう少し簡単で平易なものもある。エリ、代表的なものを挙げて』
教授は教室の左手にいる少女、エリを名指した。彼女はショーンと同期の中で、最も優秀な生徒のひとりだ。
『はい教授。《マグネス》はいかがでしょうか。この呪文は、まず自身の体に磁極を発生させ、次に望む場所を強磁性体に変化させて磁気誘導を起こす呪文のため、比較的平易です』
エリ・エクセルシアが、黒色のおかっぱ髪を揺らしてキリリと答えた。それのどこが平易なんだ。ショーンは物理とも不仲だった。
『そう、磁力牽引呪文 《マグネス》。自身の指を磁石に見立て、狙った箇所に磁気を発生させ、磁気誘導を可能にする呪文だ』
教授は先ほどの棒磁石を1本だけ取りだし、垂直に立てて、自身の人差し指に見立てるジェスチャーをした。次に小さな鉄釘を取りだし、棒磁石の先へと近づけた。鉄釘の頭は棒磁石にくっつき、ユラユラと宙に揺れている。物理の力だ。
『見てごらん。棒磁石の磁気誘導により、この鉄釘は一時的な磁石となっている。これは鉄の内部に含まれる小磁石——普段は微小でバラバラなため、磁石としての力はないが——こうして強力な磁石を近づけると、磁場の力によって内部で磁極が整列し、一時的な磁石へと変化する。磁石だから他の鉄釘も……ほれ、くっつく』
教授はポケットからもう1本、釘を取り出し、先ほどの鉄釘へと近づけた。鉄釘達は、まるで崖に落ちた仲間を助けるかのように、上下でくっつき風にゆらゆら揺れていた。
『これが強磁性体と言うものだ。先ほど述べたように鉄以外もニッケル、コバルトなどがそういう性質を持っている。今、彼らは磁石に変化している』
鉄が磁石に変化する……なんだか不思議な感覚だ。
『さて、ここまでは物理の話だ。私のボタンを用意しよう。これは貝を削って作ったもので、この通りくっつかないが……』
貝ボタンは磁石につくことはなく、教室の床にぽろりと転げ落ちた。
オーストーリー・バロメッツ教授は、間髪いれずに、呪文を唱えた。
【迷える羊は杖に引きつけられ道を正す。 《マグネス》】
人差し指から、スルスルと黄色い光が伸びてボタンへくっつき、ボタンは宙へと浮かび上がった。あっ…と生徒たちから感嘆の声が漏れる。
程なくして、先ほどの棒磁石と鉄釘の関係のように、人差し指の先っぽにボタンがひとつ揺れていた。
『このボタンは……ほれ、磁石にも吸着する』
人差し指を棒磁石に差し変えた。一時的に磁石となった貝ボタンは、棒磁石にもユラユラ浮かび始めた。
『これは私の好きな呪文のひとつでね』
教授は棒磁石を片方の手で持ちながら、もう一方の手で白いチョークを掴んだ。
『マグネスとは、昔、磁石を見つけた羊飼いの名だ。彼は山で家畜の放牧中に、靴の鉄釘や杖の先端が山の石にくっつくのを発見し、磁石を発見したとされている。迷子の羊は登場せず、呪文の文章自体は作り噺であるのだが……この文言は美しい』
白のチョークで、カツンと、黒板にマグネスの呪文が書かれた。
【 迷える羊は杖に引きつけられ道を正す。 】
流麗たる見事な綴り字だった。
『君たちも、どうか迷える羊を救う杖となりたまえ』
バロメッツ先生の人差し指と顎髭がゆらりと揺れる。
ショーンはコンベイの大地で、ふと目を覚ました。