第4話【Gargoyle】ガーゴイル3

「モイラ君、町長事件はどうなったかね?」

 サウザス出版社の社長ジョゼフが、丸眼鏡をクイっとさせて、社内の奥にいる新聞室長に状況を尋ねた。
 新聞室の室長モイラは、記事の原稿をチェックしながら冷徹に答えた。

「現在調査中です」
「明日の三面記事はどうする?」
「いらないでしょう。コリン駅長のお宅にヒヤシンスが咲いた記事なんて」

 シュッ、と静かに校正用の赤鉛筆の音が鳴る。

「んんん、だが町民に不安が広がっている。こんな時こそ、花でも愛でて……」
「要らないと言ったでしょう」
 冷たく室長にあしらわれ、社長は、額に滝のような汗をかいた。

 彼の名は、面梟族のジョゼフ・タイラー。
 これでも立派な、サウザス出版社の社長である。
 大きな丸眼鏡と赤いチョッキが特徴の、肌の白いずんぐりした中年男だ。夜行性なのに昼間むりに出勤してくるので、いつも眠そうな目をしている。

「んあ〜あのヒヤシンスは見事だったんだがなあ」
「非常事態ですよ社長。全面、町長事件に決まってます」

 ピシャリという彼女は、新聞室長のモイラ・ロングコート。
 常にセピア色のトレンチコートを着込み、冷たい雰囲気をまとう土栗鼠族の女性である。非常に背が高く、胴長で、彼女が背伸びをするときはいつも、何かを目ざとく探してるように見えてしまう。

 この新聞室は、室長のモイラが支配しており、社長のジョゼフでも手が出ない。

「ううむ、そうだなあ。新情報が出なければインタビュー記事で埋めるのかい?」
「ええ、記者総動員で駆けずり回ってますから……まあ、ひとりを除いてですが」

「──勘弁してくれよ、室長!」
 うず高く積まれた資料の山の奥から、突然、声が飛んできた。

「10分だけでも寝かしてくれ、2徹なんだ!」

 ソファに寝そべっている男が、自分のハンチング帽をフリフリ振って、モイラ室長に訴えている。
 彼は、新聞記者のアーサー・フェルジナンド。
 燃える様な赤髪とエメラルド色の目をした、森狐族の新聞記者である。

 

 ここは、サウザス出版社。

 チョコレート色のレンガが積み上げられた、4階建ての建物だ。北大通りと中央通りのちょうど交差点に位置しており、北大通り側の隣は本屋で、中央通り側の隣には警察署がある。

 ここの最大の特徴は、道角の玄関口にあるガーゴイルである。怖い顔をした2頭の怪物石像が、ドアの両側を守っている。
 この石像は曰くつきで、サウザス流のお仕置きといえば、このガーゴイルの前に悪ガキを立たせて、説教をすることだ。町民の4人にひとりは、幼少期、このお仕置きを喰らった経験を持っている。(当然ショーンも持っている。)

 そんな住民のトラウマを持つサウザス出版社では、主に新聞と生活雑誌を発行している。
 3、4階に資料室と会議室、1階は受付と雑誌の出版部、建物奥の別棟では輪転機が回っており、2階にある新聞室では、毎朝サウザス新聞を発行している。
 建物内部は衝立で仕切られたデスクが並び、どの机も紙と資料が大量に積まれ、インクの匂いが立ち込めている。

 現在、出版社の要である2階の新聞室は、デスクの数に比べて明らかに人が少なく、がらんとしていた。
「──あなた、もう3時間も寝てるでしょ。アーサー」
 モイラが呆れて答えた相手は、帽子を頭に乗せて喋らない。

 新聞記者、アーサー・フェルジナンド。
 彼はいつも平気でフラリと数日いなくなり、地面を嗅ぐように事件を突き止め、スクープとして持ってくる。非常に有能な男だが、個人主義かつ秘密主義で、モイラも彼には手を焼いている。
 田舎のサウザスじゃ宝の持ち腐れだと、数年前から社長ジョゼフは彼にクレイト市への出向を勧めている。だが、東区の貧民街に住む、寝たきりのばあちゃんが墓に入るまで、アーサーは意地でもこの町にいるらしい。

《ビー ビー ビー!》

 新聞室のトランシーバーが鳴った。1階の受付からだ。
 受話器を取る気はサラサラない不動のふたりに代わって、社長のジョゼフが代わりに出た。

「はい、え、モミジ? 知らんなあ、どなた?────じゅ、10年前の駅の子か!

 その瞬間、空気がピンと冷たく張り詰めた。
 モイラは、社長のジョゼフをギリッと見つめ、アーサーは、顔に乗せたハンチング帽をゆっくり外し……天井を見つめた。

 

 

「……おかしい。」
 ショーンはイライラと髪を掻きむしり、尻尾をバタバタさせて、狭い会議室で待機していた。

 待機、といえば聞こえがいいが、ドアは外側から鍵がかかっていて廊下へは出れない。部屋の中には、小さいながら便所と洗面所が付いていて、トイレを口実に出ることもできない。

 最初はなんの疑問もなく部屋に入った。
 警察署を出た後、まっすぐ役所へ連れてかれ、2階の裏棟にある南の小部屋に通された。中はテーブルと4脚の椅子がある、ごく普通の会議室で、座って静かに待っていた。
 そのまま3時間が経過し、さすがに様子を伺おうと部屋から出ようとしたら……鍵がかけられているのに気づいた。外部と連絡をとる手段はない。窓には鉄格子がはめられてる。
 現在、完全に閉じ込められた。

「──こんなの容疑者じゃないか!」

 ラヴァ州警察から『アルバとして事件に協力してほしい』と請われて、『いいですよ』と快く受けたら、この処遇だ。
「いやもしかしてアレか? 町長と銀行で昨日会ったのが、何か誤解されて伝わってるのか?  ふざけんなよおい!」

 尻尾の検分が終わり、昼食後に、州警察から取調べを受けた。特に、前日の銀行での様子を詳しく聞かれ、なるだけ正確に、会話のやりとりを伝えたつもりだ。その後、待機と協力をお願いされ、気がつけばこのザマだ。
 死体検案室に入る時、荷物は全て警察署のロッカーに入れられた。現在の所持品は、あのロッカーの鍵しか持っていない。今の自分の、唯一の味方であるこの鍵は、あまりにも脆く小さく、儚かった。

 

「……クソっ!」

 町長の面会なんかのせいで、なぜこんな目に遭わなきゃならないのだろう。
 2階の南側の小部屋の窓から、1階の西側の中央にある町長室を恨めしく見つめた。
 他の役所の窓には全部、鉄格子が嵌められてるのに、豪華な作りの町長室だけは、なぜか鉄格子がない。

「こんな事でアルバを閉じ込めたつもりか? 破壊呪文でいつでも出ていけるからな!」

 手元に【星の魔術大綱】がなくても、この程度の鉄格子やドアの蝶番くらい、いくらでも呪文で壊せるが……もちろん社会的信用に関わるので実行には移せない。
 イライラを発散するため、ショーンは自分の尻尾をギュッと掴んで、プロペラのようにブンブン振り回した。
 昼間、オートミールをかきこんでから、何も口にしていない。

「あああ、お腹空いたあ! メシメシゆうめし夕飯早く持ってこい!」 

 ダンダンダンダン! と怒りに任せて部屋のドアを蹴り飛ばしてたら、何の前触れもなくドアが開いた。
 アッ……という間もないほど、ショーンの脚が、目の前の人物の腹部めがけて飛んでいく。
 その人物はキョロッと目を見開き、パッと重心を後ろへ逸らし……

 ──ショーンの踵は勢いよく、固い床にめり込んだ。

「痛い痛い痛いイダイぃいいいい!」
「何してんの」

 脚を抱えて悶絶するショーンを見下ろし、呆れた顔をした背の高い女性が、銀のプレートを持ちドアの前で立っていた。この声には聞き覚えがある。というか、ほぼ毎日聞いている。

「はぁい、ショーン。夕飯よ」

 役場の警備服を着こんだマドカが涼しい顔で、後ろ脚を伸ばしてドアを閉めた。

 

「ま、マドカ? なんで警備員が夕飯なんか……」
「職員みんな州警察の手伝いよォ。で、これは差し入れ」

 彼女は、深緑色のツナギのチャックを開けて、たわわに実った胸の間から、クシャクシャになった新聞の束を取り出した。情報に飢えていたショーンはすぐに飛びつき、体温であたたまった新聞の皺を、急いで伸ばしてテーブルに広げた。

「事件の進展どうなった!?」
「新聞、渡したのがバレたらまずいから、証拠は食べて隠滅してね」
「食えるか!!」

 新聞は、今日の朝刊と昼の号外、そして夕方の号外の3種類だった。
 朝刊には町長の失踪が軽く触れられ、昼は尻尾事件の件が大々的に。夕方の号外には事件のまとめや住民インタビューが載っている。

「今日出た新聞はこれで全部」
「ん……んん……」
 ざっと見た感じ、尻尾の吊り下げ事件以降はスキャンダラスなことは起きておらず、事件のめぼしい進展もない。

「何か気になることあるぅ?」
「んーんー……あっ!
 昼間、監察医ベルナルドが調べた、尻尾の検分結果が出ていない。掲載が間に合わなかったのか。それとも警察が隠しているのか。

「検尻尾の結果が出てない」
「検尻尾って何よ」
「だって死体じゃないし……検尻尾だろ」
ショーンは新聞の礼に、昼間の検分で分かった事や、現在に至るまでの経緯を、ざっとマドカに説明した。

「へぇ、アルバ様も大変だったのねぇ〜。お疲れさま」
「で……僕は今、拘束されてるのか? 州警察はなんて言ってる?」
「知らない。まあ疑われてるんでしょうね〜。ほら、アルバって呪文で何でもできると思われてるから」
「なんでもはできない」
「アンタの魔術の腕なんて、誰も知らないもん」

 

 灰耳梟族のマドカはこんな状況下でも、相変わらずトボけた顔で、首をゴキッと動かしている。ぐぬぬ、とショーンが唸ってると「そろそろ食べなさいよ」と、夕飯を促された。

 銀のプレートには、バター付きパンと、トマト煮の豆とトウモロコシ、イチジクのパイが載っている。ストレスで甘いものを欲していたショーンは、真っ先にパイをむしゃむしゃ食べた。

「ま、やましい事がなければ堂々としてればいいのよ。そのうち帰れるでしょ」
「むぅ……」
「州警察は私達が面識あるって、まだちゃんと分かってから、ショーンも言わないでよね」
「面識って……田舎町なんて……みんな知り合いみたいなもんだろ」

 ショーンは少しずつパンをちぎり、トマトソースを掬って口に運んでいる。

「だからって隣人バレはマズイでしょう……そうそう、紅葉は夕方ごろ酒場に帰ったわよ」
「……そうか…」
 紅葉とは、朝に引き離されて、それっきりだった。
「で、私は警備の出勤に来たんだけど、勝手に外をウロチョロするなっていうんで、州警様の小間使いをやってるワケ」
「………ん」

 なるだけマドカとの会話を長引かそうと、ゆっくりゆーっくりスプーンを運ぶ。

「速く食べてね、疑われる。──けっこう役場の警備はヒマしてるから、警察に頼んで誰かまた送り込むわよ」
「できるのか?」
「だって、アルバ様をひとりにしておくのも、かえって危険でしょ」

 マドカは、さらりとあぶないことを言い残し、パンくず一つ残さず食べ終えた銀プレートを持って、行ってしまった。

 ショーンは差し入れの記事を、目を皿のようにして読み込み……情報を頭に叩きこむと、がんばって咀嚼し飲み込んだ。紙が粗悪なのはまだしも、青インクが非常に不味い。舌の表面がピリピリして、しばらくトイレの中にこもった。
 呪文で治すこともできたけど、警察に疑われてはならないので、ここにいる間は呪文を使わないと決めていた。

 

 

 そして、じっと待つこと1時間。
 ついに、待ち侘びたドアが開かれ…………、

「えっ、」

 そこに立っていたのは、昨日、病院でさんざん喧嘩したドラ息子。
 洞穴熊族の夜間警備員、アントン・ハリーハウゼンだった。

 彼の顔は、なぜか青ざめており、紺色の大きな毛布を抱きしめるように担いでる。
 お前かよと、ショーンは最悪の人選にガッカリしていると、アントンは大きな黒い鼻をブルブル震わせ、小さく低く声を抑えて、こう叫んだ。

「大変だショーン────ユビキタス先生が、拘束された!