東京JKのキツネとたぬきとアライグマ

怖い話をしよう。
その日、私はちょうど奥多摩のばあちゃん宅にいた。
冬休みに入ったばかりでね、母親と来ていた。
午前中は掃除を手伝い、そのあと昼ごはんを食べた。温かい饂飩だった。
畑でとれたネギとニンジン……そうそう油揚げも載っていた。
美味しいきつねうどんだ。
私は満腹し、縁側で休憩を取っていた。
日向が気持ちよくてね、ついうとうと昼寝を始めてしまった。
一時間経った頃だろうか、フト物音で目が覚めた。
するとそこには……!庭にタヌキの家族がいたのだ!
4匹のタヌキがあたりを駆け回り遊んでいた。
私は夢中でスマホで撮影し、父親に送ってみた。タヌキの親子だよって。
すぐに返信が来た。そこには驚愕の事実が書かれていた。
彼らは——アライグマだったのだ。

「それって怖い話なの?」
「日本の生態系が崩れ始めている!」
「もうずいぶん前から崩れてるでしょ」
「アライグマがこんなに日本で繁殖しているなんてッ!!」
 マリーは頭を掻きむしり、社会に対する憤りを友人の理香子へぶつけた。
 前日は晴れていたのに今日の空は白く曇っている。彼女がばあちゃん家から帰宅した12月末のことだった。
「うちにも野菜、お裾分けしてくれてありがとね」
 自宅キッチンに立つ理香子が料理を終えて、タブレット越しのマリーに微笑んだ。
 市販の『緑のたぬき』の中に、お裾分けのネギとニンジンを刻んでたっぷり入れた様子をカメラで映す。
「おー、美味しそうじゃん」
 理香子はごまと七味をこんもり掛けて、リビングで蕎麦を啜り始めた。
 現在、両親たちは仕事で不在の午後2時半。今日は仕事納めだそうだ。
「マリーのお昼ごはんは?」
「んーなんか食欲ないんだよねー……奥多摩の方で食べすぎたかも」
 彼女は朝から自室に引きこもり、ばあちゃん家で作った干し柿だけをモミモミと食べていた。

「ふーふー、ふぅ——結局アライグマの親子はどうなったの?」
「さあ、どこかに行ったんじゃない」
 マリーが干し柿を噛じる画面の向こうで、理香子は蕎麦と具をひっくり返してかき混ぜる。
「昔はこの辺もタヌキが住んでいたんだろうねー」
 彼女たちは生まれた時から、東京都渋谷区千駄ヶ谷に住んでいる。近所には新宿御苑に国立競技場に日本将棋連盟……
「新宿御苑にはまだいるんじゃない? ついでにアライグマも。どうやって暮らしているんだか」
 タヌキはどんどん減ってるのに、アライグマが生息してるのは不思議な話だ。
 マリーは干し柿を種までしゃぶり、緑茶をグビっと飲み干した。
「お茶のお代わり……っと」
 2階自室を出て階段を降りる。1階は昼間だというのに妙に暗かった。キッチンでヤカンを温めなおし、ふとリビングを振り返ると——ばあちゃん家の野菜が入ったダンボールから、太いキツネの尻尾が見えた。

「——ちょっと何してんのよ、この泥棒キツネ!」
「盗人とは人聞きの悪い。ワレは眷属、神の使いぞ」
 キツネはダンボールから干し柿を喰わえて、ガツガツとその場で食べた。
「か、神の使いぃ……?」
 見るとキツネにしては妙に大きく、神社の狐の石造のような姿をしている。そして何より、胸にある赤い前掛けが目立っていた。
「まさか八幡神社から来たの?それとも瑞円寺……あ、明治神宮とか言わないわよね?」
 マリーは近所の寺社仏閣を片っぱしから述べていった。
「ワレは氷川ひかわの者だ」
 キツネは厳かに奥多摩の地名——ばあちゃん家の住所を告げた。
「やだ、ダンボールに入って来ちゃったの? どうしよ、連れて帰らないと」
 頭を抱えるマリーに対し、相手はチッチッと長い舌を鳴らした。
「違う。頼みがあって来た」
 彼はキツネの尻尾を一回転し、マリー家のリビングは一面、奧多摩の森になった。白い空に枯れ木に落ち葉、雪こそ降ってないものの周囲は白と茶色で構成されている。鳥が遠くでチイチイ鳴いて、寒風がマリーの髪を揺らしていった。
「——ウソでしょ急に!」
 何せ着てるものはヨレヨレのパジャマに部屋用カーディガン。理香子から今年クリスマスプレゼントで貰ったモコモコのスリッパがあるものの、このままでは1時間と耐えきれない。
「ばあちゃん家に行かないと!」
 彼女は急いで森の中を走りだし……部屋用スリッパですぐに地表を滑らせ、したたかに額を打った。
「まったく、粗忽者め」
 マリーは人生で初めて目を回して気絶した。

「アライグマの親子が消えちゃったの?」
「ああ、探して欲しいのだ」
 一方、理香子も『緑のたぬき』を食べ終わり、キッチンで器を濯いでいる間にお裾分けのダンボール内で、モゾモゾしている狐を見つけた。
 彼は奥多摩の稲荷神社に住むおキツネ様で、片割れがマリーの家に向かったらしい。
 マリーが見かけた直後に消えてしまった、アライグマ親子の捜索を頼まれた。
「ごめんなさい、見たのはマリーだから私はよく知らないの」
「ムぅ、しくったか。里子さん家の野菜の匂いを追って来たのだが」
 神様の使いは疲れているのか、むしゃむしゃと大根の葉っぱを食べ始めた。
「残念だけど……人間に捕まったんじゃないかな。アライグマだし」
「1匹ならまだしも親子だぞ? 種が絶えてしまう」
「アライグマは外来生物だから……日本の神様って外来種にも優しいんだね」
「ガイラ?……それは知らんが——森に棲む生き物たちは、皆分け隔てなく神が守るべき存在だ!」
 キツネは胸をグッとはり、赤い前掛けを見せつけた。
 きゅっと胸が痛んだ理香子は、何かできないか考えた。
「そうだ、マリーが動画と写真を送ってくれたから見てみるね」
 スマホにはアライグマの親子——母親と子供3匹だろうか。庭を元気に駆けまわる様子が映っていた。
 彼らは物干し台を器用に登り、細い棒を掴んで行ったり来たりして、あるいは物置小屋に架けられた梯子を、ひたすら上り降りしていた。
 動画は5分ほどで終わった。写真もすべて確認したが、どれも物干し台と梯子の上を移動している写真だった。
「何か手がかりはあるだろうか」
「遊んでるっていうか……訓練しているみたいだね」
「訓練?」
 キツネは少しのあいだ考え込み、やがてハッと閃いた。

 落ち葉を髪にくっつけたマリーは、パジャマ姿で崖上の車道を下っていた。
「お腹すいた……」
 朝から干し柿2つしか食べてない胃は、しきりに空腹を訴えている。
 対向車線のトラックが、異様にマリーを避けて過ぎていった。
 目の前には大きなキツネがポテポテ歩いている。彼の尻尾は明るく灯り、暖房の役割をしていたが……少し離れると容赦ない寒風が背中を吹きつけ、そのたび体を縮めて早足になった。
「なんで神様の使いがアライグマの親子を探してるのよ……」
「彼らはこの森では新参者だ。まだ数も少ない。見守り、増やしていかねばならん」
「……それはちょっと無理だと思うの」
「なぜだ、何か問題でも?」
 キツネは曇りなき眼でマリーに問う。
 マリーは人間側の勝手な都合を、神様へ告げるべきか迷っていたら、ふと遠くの異様な建物を目にした。

「氷川工場だ」
「工場?」
 理香子はスマホで検索してみると、森の中にある巨大な建物が出てきた。
 奥多摩にある工場で、どの記事にも『工場マニア垂涎!』と書かれている。
 そのタイトルにたがわず、凄まじい外観の工場だった。増改築を繰り返したような、様々な形状の建物とタンクが建てられている。セメント色の壁面には、複雑な建物群を繋ぐように何十もの梯子とパイプが張り巡らされていた。
「こんな場所が近所にあったんだ……親子はここにいるの?」
「普通の動物は行かない。食糧もなく臭く音もうるさい——だが暖かい」
 アライグマは好奇心旺盛で器用だと聞く。もし、冬のさなか工場を攻略しようとしたら……。
「礼をいう、理香子」
 ヒントを得たおキツネ様は大きく尻尾を振り、回転して消えていった。
 奥多摩に帰ったのだろうか。床には赤い前掛けが転がっていた。
 理香子はタブレットの画面をのぞくと、マリーがまだ部屋に帰ってないことに気づいた。

「氷川工場だっ、兄者! 親子は氷川工場にいる!」
 とつぜん上空にもう1匹キツネが現れた。
 それを聞いたおキツネ様は、崖の車道からマリーの首根っこを掴んで飛び降り、工場へ向かって飛んでいった。
「ぎいゃああ!」
 2匹はマリーを連れて飛び回り、建物の様子を探った。
 程なくして、アライグマの親子を見つけた。
 どうやってそこに辿り着いたのか、タンクの上だった。
 パイプのように細い梯子に身を寄せ合って、ぶるぶると震えている。
 少しバランスを崩せば、数十メートル下へ落ちてしまいそうだ。
「よし! 助けるぞ、マリー」
「待って、私は人間だからぁああ——手出しはできないっ!」
「なぜだ、写真はパシャパシャ撮るくせに」
「それは本当にごめんなさいいい、でもこっちにも都合があるから……!」
「ふん、無責任な」
 ブンと、上空で振り解かれた。冬空の森に放り出される。
 2匹のキツネの尻尾が旋回した。
「ああああっ!」

 台所でヤカンがピィーッと鳴っていた。
 マリーは慌てて火を止め、棚にあった『赤いきつね』を取り出し、ヤカンのお湯を注いだ。
 鬼の形相でネギを刻み、器にドバッと入れて、ふぅーふぅーと夢中でうどんをかき込む。
 パジャマの上から付けていた赤い前掛けにだし汁がかかる。
 食べ終わって箸を置いた瞬間に、プルルルと胸元のスマホが鳴った。
「あ、理香子? ごめん、お昼食べてた」
『キッチンにいるの? 良かった、なかなか帰ってこなかったから』
「うん、『赤いきつね』食べたよ。お腹すいちゃってさ」
 赤い前掛けを取り外し、丁寧に畳む。
『いいんだよ、マリーの都合で生きてね』
「なにそれ」
 マリーは笑って、器を流しへ持っていった。
 途中で散らかった野菜のダンボールを片付ける。
「ねえ理香子。私はさ、良い奴ではないけどさ——理香子だけは何があっても助けるね」
 なにそれ、と理香子も笑った。
 いつの間にか雪が降り、外が急激に冷え込んでいる。
 マリーはヒーターを点け、器とお箸を洗いながら、理香子から貰ったスリッパの暖かさを噛み締めていた。

作者の後書き

カクヨムさんの公式企画 「赤いきつね」「緑のたぬき」幸せしみるショートストーリーコンテスト 参加作品です。締め切りが12月20日23:59で、当日の23:57に滑り込みました。そんなんばっかや。実在の商品名が出てくるため、いつもの3倍は丁寧に推敲しました。やっていていつもこれぐらい真剣に推敲すべきだと思いました('ω')

この作品は住宅地にタヌキいた!と思ったらアライグマの群れだった…というこちらのツイートからヒントを得ました。アライグマは可愛い…でも日本の民家にいたら恐ろしいですね。

それと「マリーのおばあちゃんが奥多摩に住んでいる」という第一話から出てくる設定をそろそろ出したいな、と思って製作しました。氷川工場は本当にすごいですよね。奥多摩はキャンプ場に合宿で行ったことがあるのですが、ほとんど周辺観光をしなかったので、いつか行ってみたいものです。

干し柿 photo akicha by photoAC
氷川工場 photo ほじん by Adobe Stock