第4話【Gargoyle】ガーゴイル2

 あれから机に突っ伏した後、緊張と不安のまま眠り込んでしまった紅葉は、お昼をとうに過ぎた3時半に、警察官に起こされた。

 想定通り、10年前の事件について質問されたが、何も知らないと正直に伝えた。予想通り、相手も『何も得られなかった』という顔をされ……種々の手続きを経て、夕方の時刻に解放された。

「あの……ショーン・ターナーは、もう帰りましたか?」
「いえ。アルバ様にはまだ協力していただいております」
「いつ帰れます?」
「それは、お答えできません」
「そうですか……」

 紅葉は肩を落とし、ひとりで帰ることにした。

 役場は、いつも町民で溢れるホールの入り口が施錠され、代わりに、州警察がたくさん来ていて、職員の聞き取り調査を行っていた。急遽こしらえた四角い布テント内に、一人ずつ呼び出されていく。

 現町長には要人警護官が絶えずついている──それなのに姿を消した。
 となると、サウザス警察だって安全かは怪しい。この事件は、州から特別に警察隊が派遣されていた。先ほど紅葉に応対したのも、ラヴァ州警察の刑事だった。

 サウザス警察の地味なメープル色と違って、ラヴァ州警察の制服は、上下とも濃い桃色のコーラルレッドだ。目立つしすぐに判別できる。役場の大理石のホールに溢れる、見慣れぬ鮮やかな桃色の大群に、紅葉は目がチカチカとして眩暈が起きそうになった。

 

「あれぇ、紅葉じゃない。まだいたのォ?」

 チョークをレンガに引っかけ擦ったような、軽薄な声が後ろから聞こえた。

 それは紅葉もよく知る人物──酒場ラタ・タッタに下宿している、灰耳梟族のマドカだ。
 役場の警備服を着こんだ彼女は、キョロッとした大きな瞳で紅葉を見て、首を90度に傾げた。深緑色のツナギの胸のボタンは、なぜか大きく開いている。

「聞いたわよぉ。今朝ショーンと一緒にしょっぴかれたって。何やったの、万引き?」
「んなわけないでしょ。町長の件でちょっと聞かれただけ。マドカは何か知ってる?」
「う〜ん。役場で消えたんなら、同僚は何か知ってるかもねー。私は非番だったから知らないけど」

 夜行性のマドカは、役場の夜警として働いている。彼女は夕方頃に出勤し、深夜、真面目に勤務して、帰りは安居酒屋で酒を引っかけ、翌朝、紅葉が起きだす時刻に下宿へ帰ってくる。(もしくは、そのまま店で寝ている。)ちなみに病院長のドラ息子・アントンも同僚だ。

「ま、警備員はみぃんな、まだ拘束されてんじゃない?」
「そうなんだ、心配だね……」
「そお? ぜんぜん」

 夜行性の民族は、昼行性の民族よりも大概マイペースに生きている。マドカが首を傾げるたびに、ミミズク特有の耳のような2本の羽角が、とぼけたようにフヨフヨそよいだ。

「……ねえ、マドカ。町長さんって、ほんとに役場でいなくなったの?」
「さあッねえ〜。私も新聞に出てる事しか知らないのよ」
「あ、新聞……っ」
「まだ見てないの? 号外とかも出てるから、ラタ・タッタ帰ったら読んだら……あーハイハイ。今いきまぁーす」

 ラヴァ州警官に追い立てられて、マドカは奥の事情聴取室へ行ってしまった。
 このサウザスで、とてつもなくヤバい事が起きている。
 紅葉は役場を出た後、せき立てられるように中央通りを走り、急いで酒場へ帰った。

 

 

 酒場ラタ・タッタへ帰ると、入口には多くの人が集まっていた。

「ただいま!」

 すでに営業開始の時間だったが、そんな雰囲気は微塵もなく、不安そうな従業員や太鼓隊、下宿人と近所の人で、人だかりができていた。紅葉の姿を見たマスターはものすごい勢いで彼女の方へ駆け寄った。

「紅葉、無事か!?」
「マスター、わ、わたしは平気!」
「ショーンは?」
「……まだ警察に協力してるって」
「そうか……」

 紅葉を掴んだマスターの腕が緩み、代わりに太鼓隊のオッズが話しかけてきた。

「紅葉、調子はどうだ」
「オッズさん、大丈夫。ちゃんと弾けるよ」
「それが……今日は、太鼓隊の演奏をどうするか相談していたところだ」

 マスターが苦々しく床に目を落とした。新聞の号外を持ってる人がたくさんいる。女将さんも珍しく1階にいて、フロントの無線台の前に座っていた。

「さっき連絡が来てね、マームさんのとこ、心労で出て来れないって」
「……っ!」

 マーム夫妻は、夫婦で太鼓隊に所属している。彼らの一人息子は元銀行員で、今は町長の側近として働いていると、いつも自慢していた。
 太鼓隊は20人ほどメンバーがいるが、見ると、役場の電話交換主のレミリアや、町長の熱心なシンパのテリー、いつもサボりがちなルアンダ等々……半数近くが見当たらない。

 

「まあ、今日は地曜日ちようびだ。一家団欒、農家の日……」

 黒輪猿族のオッズが、入り口の集団から去っていき、広間の奥の長テーブルにドカッと座った。自らの小太鼓を取り出してトントン叩く。
「昔、家族で囲んだ暖炉の火を思い出そう……ロータス、サボテンビールを頼む」
 彼は、給仕のロータスに瓶ビールを頼み、そっと太鼓を奏ではじめた。

《パタタタ、タタラ、パ、タタタン………》

 サウザスでよく聴く子守唄だ。幼な子をあやすときの唄。
 時おりビールをあおりつつ、老人が叩く太鼓の音色は、酒場ラタ・タッタに優しく響く。

 

 太鼓隊や近所の人たちは、みな静かになって……思い思いに席に座り始めた。
 ある者は目を閉じて、子供の頃の記憶を呼び起こし、ある者はグラスをかき回しながら遠い物想いに深く耽る。
 給仕のロータスはサボテンビールの瓶をあちこち並べ、女将さんは酢ピクルスと黒パンを振るまい始めた。
 マスターはいつも通りシェイカーを握り、黙々とカクテルを作ってる。

 紅葉は、その様子を眺めながら、ゆっくりとカウンターの丸椅子に腰を下ろし、テーブルに置かれていた新聞を手に取った。

 

朝刊
皇暦2570年03月08日(地)07時15分発行

【サウザス町長 失踪か?】

 現55代サウザス町長、オーガスタス・リッチモンド(金鰐族、50歳)が、行方不明となっている。
 氏は03月08日(地曜日)深夜、役場1階の町長室にて姿を消したと見られる。前日07日の21時からレストラン『ボティッチェリ』にて市場の理事と会合し、宴会を行った後、23時過ぎに役場へ立ち寄り、町長室へ入室。
 町長室のドア前に警護官2人が見張っていたが、翌01時頃、予定していた帰宅時刻を過ぎ、不審に思った警護官が入室。町長の姿が忽然と消えていた。
 役場職員らは付近の捜索をしたが見当たらず、03時07分サウザス警察へ通報。現在でも捜索は続いているが、町長の姿は見つかっていない。

 失踪当時、町長室の部屋の窓はすべて中から鍵がかかっており、「失踪ですって?消失よ!」と町長の妻ダイアナ・リッチモンド(金鰐族、47歳)は、取り乱している。

 情報提供は、最寄りのサウザス警察へ…… 

 

 これは毎朝発行されてるいつもの新聞だ。一面記事にはあるものの、記事の面積も小さく、この時はまだ本格化してなかったと思われる。紅葉は新聞をたたみ、大きなタイトルの文字が踊る、号外の方を手に取った。

 

号外
皇暦2570年03月08日(地)12時45分発行

【サウザス駅に 金鰐族の尾が!】

 03月08日(地)早朝、サウザス駅にて、金鰐族の尾と見られる物体が発見された。
 物体は、本日06時30分頃、クレイト方面の線路上にある、3つの鉄製装飾門のうち、駅舎から最も遠いアーチの尖頂部にフックで吊るされている所を発見された。発見後すぐ、06時35分着トレモロ行き始発列車と衝突し、線路際に落下した。
 本日深夜に失踪したと見られる現55代町長、オーガスタス・リッチモンド(金鰐族、50歳)の尻尾ではないかと見られている。サウザス警察はこれを受けて州警察に協力を要請。本件は、ラヴァ州警察によって調査が開始される予定である。
 物体の第一発見者であり衝突の様子を目撃した、花売りの少女(砂鼠族、9歳)はインタビューにこう答えている。

『大きな何かが、線路の上にロープでぶら下がってたの。近くで見ると大きな鰐の尻尾だった。びっくりして、駅員さんに伝えようとしたんだけど、無理だったわ。足がすくんで動けなかったんだもの。それに見つけてすぐに汽笛が鳴って、列車がきちゃった。尻尾がぶつかって、ロープがちぎれて転がっていったわ。すごい音がしたのよ。こわかったわ』

(また、彼女はインタビューに応じる代わり、毎日駅で花を売っているから宣伝してちょうだいと、筆者に頼んできた。これを機に買いに行ってはいかがだろうか。今なら花1束3ドミーと、お値打ち価格で販売している。)

 尚、この状況は今から10年前の、皇暦2560年10月12日の早朝、少女(民族不明、10歳前後と見られる)が同様の状態で駅に吊るされていた事件と酷似している。今回の事件と関連があるかは、引き続き調査…… 

 

 紅葉は、自分の事件の記載を見て、ビクッと肩を震わせた。
 ──みんなも、この記事を見たんだろうか。

 恐る恐る、広間の方に視線を向けると……奥で太鼓を奏でるオッズではなく、バーカウンターにいる紅葉の方に、顔を向けてる人が数名いた。紅葉がこちらを見た途端、みな急いで目線をテーブルの皿へと落とした。

「…………っ!」

 グシャンと新聞を掴んでしまった。
 紅葉は、当時の事件のことを何も知らないし覚えていない。
 とはいえ、無関係だなんて口が裂けても言えない。

【同様の状態で、駅に吊るされていた事件と酷似している。】

 この記事の言葉に、心臓の鼓動が早くなる。
 新聞の小さな活字が、かつて、こんなに大きく見えた事がない。
 今までに感じたことのない恐怖が、鳥肌となってブワッと全身を襲った。

 

(犯人はもしかして自分と── “過去” の自分と、関係している人かもしれない。ここでノンビリしている場合じゃない!)

「マスター、ちょっと新聞社へ行ってきます!」

 マスターの返事も待たずに、紅葉は酒場ラタ・タッタを飛び出した。