第11章【Black Maria】ブラック・マリア3

「クソッ、こういう時って何が必要なんだ……!」

 学校では教えてくれなかった。下宿の自室をひっくり返し、必要と思われる荷物を片っ端から鞄に入れた。

 サッチェル鞄の中には、財布、手拭い、酔い止め、お菓子の袋。キッチンに行って水筒にジョボジョボと水を入れ、植木鉢からちぎったハーブとレモン汁を数滴入れた。使うか分からないが、気付け薬と止血剤も一応つっこむ。最後に入れるのはもちろん【星の魔術大綱】。着替えとターバンも予備の手提げ袋に入れ、ドタドタと階段を駆け下りた。

「紅葉!紅葉っ?」
 地下室に住む紅葉を呼んだが、気配がない。外でギャリバーのエンジン音がする。

 外に出ると、ギャリバーに乗った紅葉と、酒場ラタ・タッタのオーナー夫妻がいた。土栗鼠族のニコラスと砂鼠族のルチアーナ。寝巻きのガウンを着たまま、2人とも泣きそうな顔で紅葉とショーンを交互に見ていた。

 

「……ショーンちゃん、これから行くの?」
 オーナー夫妻にきちんとお話していなかった。ショーンにとっても第2の親なのに。
「はい、すみません急に……今から警察の応援に行ってまいります」
 目の前のオーナー夫妻と、自分の両親の顔を交互に思い出して、胸がグラグラ鳴った。

「そう……アルバ様だものね………気をつけてね」
 ルチアーナが目尻をガウンの袖で拭う。
「ショーン、紅葉も連れていくのか」 
「違う、わたしが勝手に護送に付いていくだけなの」

 紅葉は、ほとんど何の荷物も持ってなかった。網をかぶせられた戦斧が、ヘッド部分を下にして、サイドカーの座席に突っ込まれている。

「ごめんなさい、店のギャリバーを勝手に。全然足りないかもしれないけど、これで」
 紅葉は膨らんだ小さな革袋を——おそらく彼女が貯金していた全財産を——ニコラスに手渡した。

「ダメ!ダメよ、紅葉!何が起きるか分からないんだから持ってなさい!」
 ルチアーナが紅葉の財布を急いで彼女に戻そうとした。
「いや……これは持っておく。必ず取りに戻ってこい。もし金で困ったら、町で一番大きな酒場に行け。ラヴァ州内なら、私の名を出せば貸してくれる」
 ニコラスが、紅葉の肩をグッと強く押した。

「はい。必ず戻ります……!」

 

 黒塗りの警察ギャリバーが、エンジンを吹かしながら徐々に集まってきた。

 集合場所の北大通り、北西の入り口。酒場ラタ・タッタは、ちょうどすぐ傍に位置している。ここは、州街道から来たサウザスの訪問客を、真っ先に迎える場所だ。列車が発達するまでは、多くの商人や旅人たちを出迎えてきた。
 今日はここから西のクレイト方面へ向かい、ユビキタスを護送する。

 明け方、北大通りに響く轟音のエンジン音に、近所の人間がポツポツと寝間着のまま外へ出てきた。ショーンは重たい荷物をかかえ、集合付近をうろついていると……

「ショーン・ターナー様っすね」
「あ、はい……!」
 側車付きの大型ギャリバーに乗った、兎耳の警官が話しかけてきた。

「ジブンとこに乗ってください。これ羊角用のメットっす。一応ゴーグルも」
「は、ハイハイ」
 警官はサイドカーの入口を開け、促した。無骨な警察車輌のギャリバーは、狭いはずのサイドカー席さえとても大きく、膝も尻もスッポリ入った。ショーンは荷物を奥へ突っ込み、自分の頭にフィットしたメットを被った。

「よろしくお願いするっス。ジブンはペーターと言います。ペーター・パイン」
「よろしく。ショーン・ターナーだ」
 なんという縁だろうか、リュカを手伝ってくれたあの兎警官だった。隣で運転手を務めてくれるらしい。軽く握手をすると、彼はすぐに後方へ振り向いた。

「えーと例の女性は……そこっすか。おおい、そのギャリバー、ちゃんとアブラ足りてるっすか?」
「大丈夫! こないだ給油したの、満タンだから!」
 車から降りたペーターは、小走りに紅葉へ近づき、声を落とした。

「……これ、アンタの分のトランシーバーっす。後ろから離れてついてきてください。指示にはちゃんと従うように。何か見つけたら知らせてください」
 紅葉の乗る黄色の車体のギャリバーは、警察車輌に比べてあまりに小さく無防備だった。

 

「おおい、ショーン! 紅葉ぃー!」

「リュカ!?」
 ドスドスと巨体を揺らしたリュカが、ギャリバーの傍までやって来た。何か包みを持っている。
「ショーン、これ短刀だ! 持っていけ」
 ズン、と手元に押し付けてきたのは『鍛冶屋トール』の装飾短刀だった。

「まてまてっ、僕はこんなの扱えないぞ!」
「いいから受け取れ。ナイフすら持ってないだろ、お前は」
 親友は、側車に座るショーンの肩をむんずと抱き、両手にぎゅっと握らせた。

「……っ、貰っていいのか……?」
「いいんだ。オレの代わりに、お守りだと思って持ってろ」
 子供の頃から見てきたが、『トール』の製品を自分の物にしたのは初めてだった。短刀の柄には、曲がりくねったアカンサスの花が見事に彫られている。

「お前が作ったのか……リュカ」
「少しだけな、親父のを手伝っただけだ。品質は保証する。──おおい、紅葉ぃー!」
 リュカは礼も言わせないまま、ドスドスと行ってしまった。

「紅葉、革の手袋だ。そのまま斧を振り回すと皮膚が擦り切れちまうから、扱う時は必ず着けとくように……」
 リュカの声が、後ろから途切れとぎれに聞こえる。
 本当に、これから出発するんだ。
 ろくに挨拶も、覚悟も、心の準備もできなかった。

 

「モミジさん!——警部から、アンタの身に何があっても助けられないと言われてます、止めるなら今っすよ!!」
 ペーターが後ろの紅葉へ、大声で最後の通告をした。 それと同時に、大きな、黒い……輝くように黒い車体の【囚人護送車】が、厳かに中央通りからエンジンを吹かせてやって来た。

「……あれに、ユビキタス先生が乗ってるの……!?」
 ルチアーナの悲鳴のような声が遠くで聞こえた。
 じわじわと外が明るくなってきた。光がサウザスの街に射す。
 周囲のエンジン音がうるさい。胸が、肺が、キンキンする。

 黒い鉄檻のような囚人護送車は、静かにショーンの横を通って行った。生温かで臭い風が頬に当たる。鳥肌が止まらなかった。
 クラウディオとブーリン警部を乗せたオープンカーが、護送車の右横にピタリとついている。先に来ていた警察車輌が、ズズッ…と前を開けて隊列を組み直した。

「——行くよ。」

 静かに紅葉がペーターの問いに応えた。黄色いギャリバーを滑らせ、黒い護送隊の一番後ろにつく。

 褪せたいつもの白いメットと、新しくもらった革手袋。太鼓隊の制服に身を包み、黒髪をなびかせ、覚悟を決めてギャリバーに跨がる彼女の姿は——サウザスの守護神にて火の神様、ルーマ・リー・クレアのようだった。

 

 

『あーあーマイクテスト、マイクテスト。諸君、聞こえるかね』
 トランシーバーから、ブーリン警部の声が聞こえて来た。
『これからラヴァ州街道を通り、ユビキタス・ストゥルソンを護送する』
 警部はオープンカーから降り、警察車輌の一団から歩道へと離れていった。

 ラヴァ州街道は、ラヴァ州の主要都市を繋ぐ街道だ。西からグレキス、クレイト、ノア、コンベイ、グラニテ、サウザス、トレモロの順に並んでいる。それぞれの町は、列車だと約1時間、ギャリバーで走ると2時間近く離れている。

『クレイト市警もこちらへ向かっている。引き渡し場所はコンベイ郊外になると思われる』
 順調にいけば、昼前には合流するはずだ。……無事にいけば。

『私ブーリンは、サウザスに残り陣頭指揮を執る。オールディスを副隊長とし、状況によっては彼の指示に従うように』
 先頭にいるオールディスが、後ろを振り向いて手を振った——メットとサングラスで何民族かはわからないが、恐らく狼族と思われる。

『道中、どのような敵が現れるか分からない。各自細心の注意を払い、気づいたことがあれば即報告せよ。また、各地区警察への連絡は……』
 ブーリン警部はその場で立ったまま注意喚起していたが、護送隊は待ち切れないといった様子で、先頭のオールディスの移動とともに、ドルン、ドゥルン……と赤煉瓦の門をゆっくり通過した。

 

 サウザス西門。北大通りと州街道の境目で、サウザス町の出入り口。

 赤橙の石レンガで互い違いに組まれたアーチ門に、大きな赤い木製看板が掛けられ、黄緑色の絵の具で「Thousands of satchels THOUSAS」と描かれている。
 文字の周りには、サウザスの名前の由来となったサッチェル鞄、鉱石や金床、鉄槌などの鍛治道具、レモンやオレンジの果実も交えて、色彩豊かに描かれており、創立当時は無かったグレキス産の太鼓の絵も、はしっこに描かれている。
 古くは別れの門、旅立ちの門とされ、存在感を放ち、数々の思い出を作ってきた西門だが、列車が開通して以来とんと影が薄くなっていた。

 今ショーンは、郷里を離れる辛さをひしひしと胸に感じ、戻れることのない恐怖に心を苛まれていた。アルバという職を選んだ以上、皇帝に、そして人民の危機に立ち向かわなければならない。
 
 ショーンは幼い頃から身につけているサッチェル鞄、そして鞄の中に入った大事な書【星の魔術大綱】をグッと握り——サウザスのご先祖様と、アルバのご先祖様、その両方へ深くお願いし、旅路の加護をひたすら祈った。

 

 ユビキタスを乗せた囚人護送車【Black Mariaブラック・マリア】を中心に、警察車輌が5台取り囲んでいる。

 先頭はオールディス。一際大きなギャリバーに乗り、この部隊の副隊長だ。
 右前方には、兎警官ペーターとアルバのショーン。
 左前方と右後方は1人用ギャリバーで、いずれも屈強な州警官が乗っている。 
 左後方のクラウディオは……なんとオープンカーだ。マントを宙にはためかせ、警官を自分の運転手のごとく扱っている。
 そして少し離れた最後尾に————謎の女、紅葉がくっついている。黄色のボロのギャリバーに斧を乗っけている。なんというか、恐ろしい。
 車6台と囚人護送車1台の、総勢7台の軍団だった。

『諸君、準備はいいかね。最終チェックだ。
 オイル、手袋、メット、武器……!』
 ブーリンの声がトランシーバーから聴こえてくる。
 あぁ、もう出発してしまう。

『タイヤ、エンジン、ブレーキ……!』
 警官と紅葉が車を降りて、最終チェックをしている。

 ああ、紅葉に一言かければ良かった——、
 クラウディオと事前に打ち合わせしておけば——、
 アーサーの話も、もっと聞きたかった——、
 オーナー夫妻に、きちんと挨拶しておくべきだった——、
 ショーンは今までの人生をぐるぐると後悔し始めた。

 心配そうな街の人々が、続々と西門の下をくぐって、州街道まで集まり見守っていた。寝巻き姿のニコラスとルチアーナもその群れの中にいる。
「ペーター! 頼む、ショーンを頼む!」
 リュカが大地を揺らして右手を振り、ショーンを乗せた警官に頼んだ。

 ペーターは無言でピョコンと兎耳を曲げて頷き、エンジンをドゥルンとかけた。ブーリン警部が号令をかける。
『——では、出発!』

 今日は3月10日風曜日かぜようび。出立するのにふさわしい日だ。