第13章【Wall lock】ウォール・ロック3

 いつしか、一同はジーンマイセの丘を降りていた。

 コンベイとグラニテの間に立つ、標識の傍を通りすぎる。グラニテの標識がオリーブグリーン、コンベイの標識はクリームイエロー色だ。
ここからいよいよラヴァ州の中央地帯・コンベイ地区に入っていく。

 ショーンが唇を真一文に閉じ、レモン水でモグモグと口をゆすぐ間、ペーターは右耳をひくひくと動かし、警護官の件でブツブツ考え事をしていた。《ビッビーッ》と、オールディスから無線が入り、クレイト市警が予定通り、こちらへ向かっていると伝えてきた。
 このまま順調にいけば、コンベイ町の手前で、両者が落ち合える。

「……まあ、警護官については引き渡し後、サウザスへ戻ってブーリン警部に相談するっす」
「このままUターンして帰るのか?」
「ええ。ジブンたちはこのギャリバーで帰りますけど、ショーンさんはコンベイから鉄道で帰るっすか?」
「そうだな、列車で帰りたいけど、あ、そういや紅葉……っ」

 紅葉は真後ろから追いかけていた。まっすぐな瞳で、小さな黄色いギャリバーに乗って。眉ひとつ動かさず、ピンと背筋を伸ばし、黒髪をなびかせて追っている。

「列車にギャリバーも載せられますよ。コンベイで護衛もつけるっす。ちゃんと、おふたりで帰れますよ」
「……うん」

 ラヴァ州では珍しく黄土色をしたコンベイの大地は、伝統的に風が強く吹いている。強風のせいで、そこかしこの岩土に流紋が刻まれているほどだ。おかげで吹きっさらしのギャリバー内にも、ビュービューと風や砂埃が吹き込んでくる。

「…………ウ、ゲッホごほ!」
 紅葉を見るため後ろを向いたショーンも、砂粒が思いきり口に入ってしまった。
 慌ててペーターに脇に寄せてもらい、レモン水で漱いで吐いた。
「ゲホっ……はー」

 水筒を鞄にしまい、改めて唇を拭った。
 鬱蒼としたルクウィドの森が、手に届きそうなほど街道と近い。
 曲がりうねった木の枝々が、上空に見えている。
 あと1時間も走れば、コンベイの街へ着く。
 その時だった。

 

【北と南が一度出会えば二度と離れることはない。 《ノーザンクロス》】

 

 ショーンは聞き取れなかったが、ペーターの大きな鋭い耳は、正確にその呪文を捉えていた。ペーターは聞き取った瞬間に受身を取った——が、遅かった、囚人護送車の周りに強烈な磁場が発生した。

 

「──ぐわあああああああッ!」

 鉄という鉄が地面に張り付き、一個隊は速度のついたギャリバーから身を投げ出され、黄土色の地に勢いよく転がった。

「あァぐっ……!」
「痛えっ!」
 トランシーバーをはじめとして、全身に防護用の鉄製品をつけた警官はもちろんのこと、ショーンも、羊角用のメットとリュカに貰ったナイフが、ぴったりと地面に張り付いていた。

「く……っそ」
 腰のベルトに下げた装飾ナイフが、釘で固定化されたように動かない。大事なお守りなのに。

(せめて、メットだけでも……!)
 一方、ヘルメットは大部分が革で出来ていて、鉄具はちっちゃい鋲や金具のみ。
「はっ、はあっ……」
 肩を上げれば少しは抵抗できそうだった。必死で指を首へと伸ばし、ベルトを引きちぎろうとしたが……頭をグッと動かすだけで、脳みその中身が津波のようにグルリとうねった。

「うアアあッ!」
 頭を動かすとユラユラ地面が揺れた。地震、違う。平衡感覚を失っている。

「ハぁああっ……!」
「──ァガッ、ゴフ!」
 他のみんなも、声にならない声を叫んでいた。
 生きていて到底体験することのない強力な磁場が、護送隊を襲っている。

 鉄を最低限しか身に付けてないショーンでさえ、こんなに苦しい。防具や武器で全身覆われた警官たちの苦しみは想像がつかない。こんな強力な呪文、人間相手に打っていい代物じゃない!

 クラウディオは平気だろうか。紅葉は——紅葉は無事なのか。

 地面に転がったショーンの目の前に、囚人護送車の様子が見えた。まずい。鎖を何重にも巻きつけているユビキタスの命が危ない。これは本当に彼の味方の仕業か!?

 地面を這う芋虫のようにもがき苦しんでいると、西の遠くに人影を見つけた。

 

「っ……!」

 ルクウィドの森から出てきたと思わしき、怪しい人影。
 この距離じゃ、小さなマッチほどの大きさしかない。
 ショーンは脳味噌と眼球の揺れに耐えながら、真鍮眼鏡を遠望レンズに変えた。

 ——ハッキリ見えた、あいつだ!
 端をちぎり尽くしたマントに、裾が刻まれたぼろぼろのズボン。
 修行僧のような黒い装束を、全身に纏っている。
 顔は緑——いや木の葉だ。
 何種類もの葉っぱを、何十枚も重ねてできた木の葉の面だ。
 性別は分からない。背は高め。体つきから男に見えた。
 三角のフードが妙に高い。有角か。それとも、大きな耳か。 

「…………はぁっ、はあ……っ」
 冷や汗が止まらない。額の汗が眼鏡にかかった。

 ショーンがあらかじめ想定していた人物像とは全然違った。アルバの組織なら、魔術師らしいローブ姿とか、もしくは警官みたいに締まったスーツを着てると思っていた。こんな……森の妖怪のような魔物のような、モジャモジャした……これが先生の仲間?

 奴が、こちらにゆったり歩き、右手をあげた。
 ショーンは恐怖で動けなかった。ただ、眼鏡の先から細部を観察することしかできない。
 彼の手は——長い、スラリとした指だった。黒の指なし手袋を着けている。指先は、植物の汁でも染み込ませたように茶色く変色していた。
 不気味な木の葉のお面の下から、わずかに見える顎が動く。ショーンの耳では、呪文の文言など聞きとれやしないが、眼鏡に映る呪文動作と光の色で、何を唱えたか予想がついた。

 

【北と南が一度離れれば二度と出会うことはない。 《サザンクロス》】

 

 強力な磁石と磁石が、バツン!と反発するように、黒の囚人護送車だけが、地上からパーンと宙に放たれた。

「——あぁあ、ああああああっ……!」
 やはり反対呪文だった。車体が、ルクウィドの森より高く上がった。あの中には警官ひとりと、ユビキタスが乗っている。このまま奴が呪文を解けば、恐ろしい勢いで落下する。

「だめ、だめだめダメダメ……」
 ————やめて、死んじゃう。
 ショーンの瞳から涙が流れた。
 学校で、校長が、ジーンマイセを語る様子が、ぱたぱたと映画の銀幕のように点滅する。

 重い護送車が、磁気の力だけで重力に抗う間に、仮面の男がまたひとつ呪文を唱えた。淡い月光色が、黒いマントの裏で光り輝く。不安定に宙を漂っていた黒い車体は、その光に引き寄せられるかのように、謎の人物の元へスーッと降下していった。

 

「ハッ、はあッ…………」
 ショーンは唇の端から泡を吹いた。
 囚人護送車が、静かに、タイヤを地につけ不時着していく。
 ……ユビキタスは、助かったのか…………?

 護送隊の周囲には、なおも強烈な磁場が発生しており、ショーンは視線を動かすだけで精一杯だったが、仮面男の周りに磁力の影響はない。護送車の中にいた警官が、急いで運転席から飛び出した!

 警官はそのまま、謎の男に向かって走り出し——だが、もちろん即座に、男の右腕から呪文が放たれ——気を失い、その場へ倒れてしまった。

「あう……うぐッ!」
 ショーンは唾液をコポコポと垂らしながら、パクパクと、さながら地面に打ち上げられた魚のように口を動かした。まだ立てない。動けない。せめてヘルメットだけでも外さなければ。

 仮面の男は、警官の体から鍵を取り、囚人護送車の後部扉を開けた。
 そこには白と黒の拘束服を身につけたユビキタス——目も口も耳も、五感のほとんどが縛られ、大きな二本の犀の角だけが、布の端から見えていた——が、ベルトと鎖で厳重に固定されて座っていた。
 特に手足と首を繋いだ鉄の鎖は、車内のあちこちから金具で留められ、一箇所に何本もぶら下がっている。
 これには仮面の男も、怯んで肩を固まらせた。
 その刹那。

 

「————うがあぁアアアアあああッッ!」

 

 紅葉が、部隊の最後方から、大斧を地面に引きずり、吠えながら謎の男の方へ駆けていった。