[意味]
・火山から噴出した流動状の溶岩。または冷えて固まった火山岩。
・ルドモンド大陸の北東に存在する州の名前。
[補足]
ラテン語「lavare(洗う)」あるいは「labes(滑る)」に由来する。18世紀の地政学者フランチェスコ・セラオは、ヴェスヴィオ火山の噴火について、論文内で溶岩流のことを「a flow of fiery lava」と表した。現在までヴェスヴィオ火山は幾度も噴火を繰り返しており、79年にはポンペイの街が埋没している。
——ルクウィドの森。
場所によって姿を変えるこの森は、ある地では子供たちが遊ぶ茂みであり、ある地では豊富な鉱脈が巡る鉱山であり、ある地では——鬱蒼とした深緑の林である。
そんな鬱々とした林の中に、白いマッシュルームがぽこぽこと無数に育ち、コロニーを成す一角があった。何百と集まったキノコの光は、闇に染まった漆黒の夜でも、青白く煌々と地面を照らしている。
『菌環』あるいは『妖精の輪』とも呼ばれるキノコの円形コロニーの中央に、黒い衣服を着た青年が1人静かに座り込んでいた。
彼は分厚いマントを体に纏い、深いフードをかぶっている。顔は見えず体型も不明だ。マントとフードは黒い森の色をしていた。布が風にはためく時、ほんの僅かに立派な角の先が覗く。青年は少なくとも角持ちの民族と思われた。
角は、キノコと同様、青白く淡い光を発し……森の外から聞こえてくる微弱な電波を捉えていた。
「無用心な!」
バンと大きな音を立て、猫狼族のアルバが大股でクレイト警察の無線室へとやってきた。
「この先より他の進むこと叶わぬ!」
黒色マントを翻し、白手袋で包んだ両手を交差させ、背中をグッとすぼめて鋭く叫んだ。
【ここは境界の標だ。 《テルミヌス》】
ボッ、と額と両手拳の3点が橙色に淡く光る。光は高速で周囲に拡散していき、その速度と勢いから、室内よりはるかに広範囲へ呪文をかけたことが見て取れた。
「……こ、これはこれは、ベンジャミン様!」
「電波妨害の呪文でありましょうか?」
無線室の警官たちは、慌てて突如現れたアルバに話しかけた。
「違う。向こうの呪文を消しただけだ。電波を遮るなどナンセンス。君たちが送受信できなくなるだろう」
燕尾服姿の彼の背後から、深緑のセーターを着た小柄な男性──クレイト市警、土鼠族のマーロウ警部がスッと体をのぞかせアルバに尋ねた。
「……敵さんの範囲のほどは」
「恐らくクレイト一帯だ。糸のように微弱なマナが、ぷつりと切れるのを遠くで感じた」
「なんと!?」
「では、本当にアルバが関与していると!?」
通信機器に囲まれた無線室内が、にわかに色めき立つ。
「そう決まったわけではない。知人による深夜の呪文練習とも考えられる」
アルバは己の人差し指を唇にあて、黒い眉をキリッとひそめた。自分の言葉を、自身で信じていない顔だ。彼はクレイト市に在住する唯一の【帝国調査隊】——猫狼族、ベンジャミン・ダウエル。
「遮断呪文で一時的に凌いだとはいえ、どのみち無線など傍受されて然るべし。これ以上の期待はするな」
「問題ない、ベンジャミン……ブーリン警部とは暗号でやり取りするさ。よいしょっと」
マーロウは分厚い紙の束を持ち、よっこらせと椅子に乗り上げるように座った。そして息を整え、ツマミを捻り……目にも留まらぬ速さで無線信号を打ち、紙束に速記していった。
トン、ツーの、ごく単純な2音が、オーケストラのように複雑な音色で、室内を無尽に飛びかっている。この手並みには、魔術学校を首席で卒業したアルバでさえ、苦笑しながら警部の背中を見守っていた。
無線室の外では、叩き起こされた警部補クラスの上官から、配属されたばかりの新人まで、続々と深夜の廊下に集まっている。
トン…と、最後の電鍵を叩いたマーロウはようやく後ろを振り返り、ブーリンとの護送計画を、手短に部下へ説明していった。
「……という事で、護送にはアルバがなんと2人も同行してくれる。ドンパルダス氏と、ターナー氏だ」
「チッ………クラウディオめ」
ベンジャミンは天を仰いで、気難しげに首を振った。
「しかし、サウザスのターナー氏が付いてくださるとは心強い。夫妻のどちらだろうか」
「いや、その子息だ」
マーロウは、小さな指でペラリと紙をめくった。
「何と、息子か……!」
彼は驚きで口髭を軽く震わせた。
「知っているのか、ベンジャミン」
「お会いした事はないのだが──噂では、彼は卒業と同時にアルバの資格を得たと耳にしている。しかも両親は極めて才あるターナー夫妻!……さぞかし、優秀な人物だろう」
ベンジャミンは、黒色瞳の奥にある黄金色の瞳孔を光らせ、自信に満ちた顔でキリッと叫んだ。
「——間違いない!」
「ウヴォエエええっ!!!」
茫漠たる赤土の大地。広い広い砂の道路を、警察の一団がひた走る。
さぞかし優秀なアルバ、ショーン・ターナーは、州街道の道脇に思いきり黄色い汁をまき散らしていた。
「ショーンさん、本読むの止めたらどうっすか」
「ヘーキ、平気、酔い止め飲んでるから……ヴォえ!」
「ほとほどに頼みます」
アルバ様は、道中ずっと魔術書の文字を必死に追って、呪文をぶつぶつ呟いている。本当は彼にも周囲を警戒して欲しかったが……ペーターは肩をすくめた。ヘルメットをつけていると、芝兎族お得意の聴覚が使えず、視覚と嗅覚だけが頼りになる。幸い、州街道は見晴らしがいいから、そこまで気にする事ではないが……。
『あーあー、諸君。聞こえたら左手を振りたまえ』
ブーリン警部から電波越しに指示が出て、みな一斉に左手を振った。最後尾の紅葉も手を振っているのを確認した。
『みな聞こえてます』
オールディス警部補の声も聞こえてきた。
『よろしい。これから基地局を経由して指示を出す。届かない場合はオールディスに一任する』
『OK、ボス』
『グラニテ警察とも連絡が取れた。周囲の警戒を進めている……北門手前に集合、オイルを切らさずに頼む』
『了解、ボス』
これは “猿の尻尾”(ウソの報告)だ。
本当の指示は『町へ寄らず、手前で迂回せよ』。
州街道をそのまま素直に進むと、どの地区も町の中心部を通過することになる。例えばサウザスだと北大通り、グラニテの場合は北門からの中央道だ。今回は安全のため町の内部は通らず、郊外の迂回路に逸れていく。
警部の連絡が切れた後、オールディスは紅葉へそのまま後続に付いていくよう指示を出した。
「ショーンさん、グラニテには寄りません。何かあったら予め言ってくださいっす」
「——分かった」
「酔いの方は大丈夫っすか?」
「平気、平気────っぷ」
「了解っす」
彼らのギャリバーは滑るように横へ逸れていき、サイドカーからキラキラ光る黄金の吐瀉物を宙に放った。
朝陽がじわじわと地表を昇ってくる。ラヴァ州の大地はあまりにも長閑で、雄大で……恐ろしい敵が迫っているとは、とうてい想像できなかった。
ここは母なる大地、ラヴァ州。
ルドモンド大陸の北東に位置し、平らな大地が広がっている。
北には山脈——ルクウィドの森が広がっている。西の密林地帯から東の鉱山地域まで、ラヴァ州に水源と栄養と鉱脈を与えている。州街道はこの森に沿う形で作られている。
南には峡谷——ウィスコス峡谷が存在している。谷底には長くて深いエリダス川が流れている。州の西側のクレイト周辺では運河のように広く穏やかだが、東のサウザス近辺では舟が木っ端微塵になるほど急流だ。鉄道や送電線はこの峡谷に沿う形で敷かれている。
森と谷、このふたつの雄大な自然に挟まれた大地——それが、ラヴァ州だ。
州には全部で7つ地区がある。西からグレキス、クレイト、ノア、コンベイ、グラニテ、サウザス、そして最東端のトレモロ。それぞれの地区には大きなメインタウンがひとつあり、町や村、もしくは市として、地区と同じ名称で呼ばれている。
メインタウンは非常に広く、どの町も州街道と州鉄道が敷かれて直接繋がっている。馬車が主役だった時代は、地区外れにも多くの宿屋や馬舎があり、独立した生活圏があったものだが、鉄道とギャリバー移動が主流の今、小集落はどんどん吸収され、町はどこも肥大化の一途を辿っている。
また、ラヴァ州は全体的に畑作が不向きな土地だ。西の方では林業が、東では鉱山業が盛んである。地区ごとに独自の産業もあり、たとえばサウザスなら鉄鋼品、グレキスだと楽器や木製品、グラニテは陶器などが有名だ。それら生産物を巨大な穀物倉庫であるファンロン州と取り引きしている。
州都は——クレイト市。州内で最も古く、豪華で、大きな都市だ。古代よりラヴァはクレイトを中心に発展していった。政治をはじめ、銀行、警察、郵便など、州組織のほとんどがクレイトに拠点を構えている。
西に州都があるせいか、東側の管理が手落ちになりがちな組織も多い中、ラヴァ州警察は全都市の街道を欠かさず巡回し、小さな私道や新設したばかりの舗道も、きっちり調べて把握していた。そんな州警の尽力のおかげで、ラヴァ州の治安は大陸ルドモンドでも上位に入る。
「とはいえ、寝てないと厳しいっすねぇ……」
ペーターは首をブルッと振った。慣れた道中とはいえ、睡眠不足はどうしても集中力が落ちてしまう。彼はポケットから緑の葉っぱを2枚、取り出した。
「ショーン様、昨日寝ましたか?」
「えっ——いや、寝てないな」
サウザスを出発してから、ショーンは本を読んでは吐き、呪文を暗唱しては吐くを繰り返している。すっかりやつれて青白い顔になっていた。
「これ、1枚噛んでくださいっす」
「何だこれ、葉っぱ?」
「草食民族にめちゃくちゃ効くっす。肉食だとあんま効かないっすけど」
「きく?」
「あ、噛むだけっすよ、呑みこまないで下さいね。とんでもないことになりますから」
ペーターは涼しい顔で1枚ガリッと噛んで見せ……ショーンも恐る恐るパクッと噛みつき……見る見るうちに顔に活力がみなぎった。
「ウオオオオおおおおぉぉ!凄いなこの葉っぱ!もう1枚だっ!もう何枚かくれ!」
「ダメっす。最低2時間あけてください」
「やだ!もっと、もっとだ!もっとくれええええええええ」
ショーンの絶叫がルクウィドの森へ木霊した。
『——どうした、何を騒いでいる』
オールディス警部補の声が、トランシーバーから聞こえてきた。
『すいません、ショーン様がハッパを齧っただけっす。すぐ治りますよ』
「うぽおおおぉおっ!!!」
発狂したアルバの声が全警官に響き渡る寸前に、ペーターはトランシーバーの送信を切った。初心者相手に丸ごと1枚は早かったようだ。
これで例の彼女が怒りやしないか、ちらりと後続の様子を見たが……紅葉は険しい顔のまま冷静に周囲を警戒している。
「さすが、自ら志願するだけのことはあるっすね」
「ウぽおおおおぉおおおおぉおっ!!」
それからしばらく、アルバが緑の奇声をあげたまま、行軍は続いた。