[意味]
・(蔦が巻きついた)東屋。亭。
・ルドモンドにおける帝国魔術師の資格名。
[補足]
ラテン語「arbor(木)」に由来する。日本語における東屋は比較的ガゼボに近い形状だが、「アルバ」は、木や鉄の柵につる性植物を巻いて木陰を作ることを目的とした構造物である。家庭用はアーチ型やサンルーフ型などの小型なarborが主流だが、広い邸宅や大庭園になると温室の屋根のように巨大なarborも存在する。
古代、ルドモンドの学者や魔術師は、宮廷庭園の東屋に集い、学問や研究を行った。
ツタの葉が鬱蒼と巻きついた東屋の柱と、一体に見えるほど、知に打ち込む彼らを見て、民衆はいつからか、彼らを東屋そのもの、【Arbor(アルバ)】と呼ぶようになった。
数千年の時を経て、アルバの名は、帝国魔術師の資格職として巷間に広まっているが、今もなお「帝国に仕える者」であることに変わりはない。
「素晴らしい働きだ、ショーン君! 証拠を見つけるとはね。さすがはスーアルバであるターナー夫妻の息子だ!」
「警部、ユビキタス先生はなんと仰っていますか?」
ショーンはクラウディオを無視し、浮かない顔をするブーリン警部に伺った。ユビキタスの筆跡の魔術書、校舎の窓の残留マナ……これらは事件の証拠と云えるのだろうか。
「彼は現在、警察署にて拘束している……それより院長のハリーハウゼン氏を」
「————なんの騒ぎだね」
西区の自宅にいたヴィクトルが、ショーンたちの集まる校庭へ、警官に付き添われゆったりと現れた。彼が杖をつく姿は初めて見た。いつもより顔が青白い。ショーンは胸の奥がジンと痛んだ。
「ハリーハウゼンさん、この魔術書がユビキタス・ストゥルソンのものか聞きたい。筆跡は彼のようだが」
「そうだ」
「では、なぜこの本があなたの病院の書斎にあるのかね」
「……彼は、私の古い友人だ」
ヴィクトルは、何者にも目に触れぬよう空を見上げる。
「ユビキタスは……サウザスで、最も聡明な学生だった。貧民街の出身だったが、学校中の誰よりも賢かった。彼は体内に多くのマナがあり……アルバを目指していた」
そんなこと全然知らなかった。この場にいる多くの——ほとんどがユビキタスの教えを受けている——サウザス住民達が、皆初めて聞いた顔をしていた。
「彼は魔術学校へ行きたがったが、両親が許さなかった。……彼らにとって、自分の一人息子が帝都へ行き魔術学を修めるなど……おとぎ話に等しかった」
「でも、魔術学校は18歳まで入学を受け入れています。それに大人になってからも——」
誰もが唇を閉ざす中、ショーンが思わず口を挟んでしまった。
「君は恵まれていた人間だ、ショーン」
ヴィクトルがゆっくりと微笑んだ。
「ご両親が移住してくるまで、ここサウザスで、アルバを実際に見た者はほとんどいなかった……当時の私たちにとっては、アルバも魔術学校もおとぎ話と同じ……空想上の存在だった」
多くのアルバはあまり町に姿を現さない。サウザスのような田舎町なら尚更だ。
「それに、確証はないようだが……彼は、己のマナが足りないと感じたみたいだ。アルバはおろか魔術学校にも落ちていた可能性が高いと……そう聞いている」
魔術学校にも入学資格があり、マナが一定量ないと入れない。何年も落ち続けて諦める人間もたくさんいる。
「その本を譲り受けたのは、私たちが20歳の時だ。手元に置いておくと辛いが、捨てたくはないから取っておいて欲しいと」
まるで古い友人に触れるように、ヴィクトルが本の表紙をそっと撫でた。
「呪文のページに、鍵開けの絵が描かれているようだが……これはなんだね」
ブーリン警部がヴィクトルに尋ねた。
「それは昔からあったものだ。彼は自宅でよく窓の開閉の呪文を練習していた。本当はドアを開けたかったようだが、彼には複雑すぎたようだ」
ドアの鍵開けは鍵の種類にもよるが……かなり高等技術がいる。ショーンも試験勉強以外で実践したことはない。
「それは、役場の町長室の窓を、開閉するためか?」
「……私は何も知らない」
ヴィクトルは首を振った。
それ以上、何も答えない——。
そう意思表示しているように見えた。
その後、ヴィクトルは警官に連れられ校庭から去っていった。ついでに涙を浮かべたアントンも。病院とヴィクトルの自宅には家宅捜索が入ることになった。
「いやショーン君、お手柄だよ」
ブーリン警部がショーンの肩を叩き、声を潜めて囁いた。
「ユビキタスの自宅を探したが、何も見つからなかったんだ。助かった」
崖牛族の角と顎髭が、ショーンの羊角にグッと近づく。
「何も? 校舎や校長室もですか」
「もちろん。というより既に処分されてるようだった。幼少期や青年時代の物はおろか、町長時代の書類や証書も、何ひとつ残されてなかったのだよ」
「…………っ!」
ゾクッと深い闇が稲妻のようにショーンを襲った。
今までに感じたことのない、真の深淵を見せつけられた感覚だった。
「ただ、昔に渡した本のことは、さすがに忘れていたようだな」
ブーリンは満足そうに、発見した【星の魔術大綱】の表紙を見つめた。
——忘れていた?
事件の前日に、ユビキタスはヴィクトルの書斎を訪問していたのに。
本当に?
「とある組織がある」
バチンとアーサーが指を鳴らした。
昼の日差しは盛りを過ぎ、アパートの窓辺に差し込む光はすでに夕刻へと向かっている。
「…………恐ろしい組織だ」
犯罪組織かと紅葉は身構えた。サウザスでは北区の奥に存在している。普段は賭博場にいるが、たまにラタ・タッタに酒を飲みにやって来る。今のところ店で騒ぎはないが……。
「——なんでも、アルバ志望の子供を集めて、思想教育を行っているらしい」
「えっ」
思わぬ方面からの発言に、驚愕した。アルバ絡みとなると……サウザス内の話ではないようだ。
「紅葉ちゃん、君なら既に知ってるかもしれないが、魔術学校へ通う生徒の多くは、身内にアルバがいる者だ」
「……は、はい」
ショーンの魔術学校時代、彼の愚痴から出てきた同級生は、みんな代々続くアルバの家系……みたいな人ばかりだった。ショーンだってそうだ。
「しかし、一般家庭に生まれたマナの多い子供は、人知れず存在している。本人もまったく気づいてない」
「…………そういう人もいると思います」
「そうした子供を探して引き取り、魔術教育を受けさせるんだ。君もアルバになれると」
「それは誰が……アルバの人がやってるんですか?」
ショーンが両親に呪文を教わっているのを見てきたから、一般の子がアルバを目指す難しさは理解できるし、そういう活動があってもおかしくない。
——ただ、思想教育となれば話は別だ。
「さてね、詳しくはわからない。オレは資格を剥奪された元アルバじゃないかと睨んでいるが」
アーサーが無表情で自分の顎をコツコツと指で叩いた。その仕草は『そこは話のキモじゃない』とイラついているようで、紅葉は肩をそっとすくめた。
「また、魔術学校へ入学したもの全員がアルバになれるわけではない。これも知ってるね?」
「……ショーンが言ってました。4分の1……多くても3分の1くらいの生徒しか合格しないとか……」
「残りはどうなると思う?」
「それは……アルバの元でお手伝いしたり、普通の仕事をしたり……役人になる人も多いって聞きました」
「そうだ」
ショーンの同級生は165人いて、卒業と同時にアルバになれた人は、ショーンを含めてたった3人だった。卒業後に何年もかけて試験にチャレンジするみたいだけど、途中で諦める人も多いだろう。
「大半の卒業生は真っ当に勤めているが、何かの際に、道を誤る者もいる」
「そういう人が、その組織にいると……?」
「そう。アルバを目指す子供、そしてアルバを諦めた大人……あるいは試験に合格し、実際にアルバになれた者も……いる」
「——アルバになった人も!?」
「厄介な点は、全員が何らかの呪文を扱える、そして魔術業界に詳しいということだ。たとえアルバになれなくてもね」
アルバは、帝国から厳格な規律によって構成された魔術組織だ。
だから呪文という極めて ”危険” なものも公然と扱うことができる。
それが無法者の手に渡り、なおかつ組織化されているとしたら——。
「…………ショーンは、存在を知っているんでしょうか」
「さあ。彼に聞くにしても、慎重に聞いた方がいい」
——たぶん、彼は知らない。そんな共通の認識がふたりの間の空気に流れた。
「あなたは……アーサーさんは誰から聞いたんですか?」
「親父だ。クレイト市でジャーナリストをしていた……今は、消息不明」
窓の外は燃えるように赤い夕陽の世界だった。
太鼓の音があちらこちらで鳴り始めている。
もうそろそろ北区の終業時刻のベルが鳴る頃だ。
「誰が、何のために、そんな組織を作ったんですか?」
「それを知っていれば苦労はないねぇ」
アーサーが、灰皿の中にあったナッツの袋を掴んで開いた。食うかい、と勧めてきたが、紅葉は丁重にお断りした。こんなスクープを聞かされ、食欲などない。
「親父は長年、密かに追っていたようだが、詳細は教えてくれなかった。この件を聞いたのは10年前に一度きり。それ以降…父は……姿を消した」
「………10年前」
「そう、君の列車事件が起きる数ヶ月前だ。クレイト市の安宿で聞いた」
アーサーはナッツを美味そうにボリボリ食べはじめ、紅葉は食欲不振と香りの相乗効果で、気分がいっそう悪くなった。
「唯一、教えてもらったメンバーの名が——ユビキタス・ストゥルソン」
「っ、ユビキタス先生?!」
昨日、先生が拘束されているらしいとショーンが言ってた。本当に彼が?
「組織に出入りしてたらしい。奴には気をつけろ——と」
「先生が……嘘!」
「10年前の当時、ユビキタスは次期町長として期待されていた頃だった。親父は秘密主義だったが……これだけは危機を察して教えてくれたのかもしれないな」
アーサーは袋を広げ、バサバサと欠片を口の中へ落とした。
紅葉は直接、学生として彼に教わったことはない。だが偶に遊びに来て、喋ってくれた彼からは、そんな素ぶりは微塵も感じなかった。
ユビキタスはとても優しくて温かで、良い人だった。
「……アーサーさんは、お父さんから聞いたことを他の誰かに伝えたんですか」
「ハハハ。18歳の無職の男がひとり、何を言って誰が信じたと思う? 証拠もないのに」
彼はすっかり食べ終わったナッツの袋を、灰皿の中に丸めて捨てた。
「まあ、ひとりだけ信じてくれた人は、役場に就職してユビキタスを見張ってくれてたけどね」
「えっ、誰のこ……」
シーと、アーサーは人差し指を唇に当てた。紅葉は慌てて固く唇を結ぶ。
「ふむ、ナッツも食べ終わったし、そろそろ最後にしよう。何か聞きたいことはあるかな?」
その組織は、アルバ志望の子供を集めて思想教育を行っているらしい。
「……“思想”って、何ですか?」
「────民族浄化」