第6章【Momiji】紅葉1

[意味]
晩秋、木の葉が赤色や黄色に変化すること。
ムクロジ科カエデ属の落葉高木の総称。英語で「maple」
鹿肉の俗称。

[補足]
日本語の動詞「もみず(木の葉が色づく)」が名詞化したもの。古くは「もみち」と呼ばれ、黄葉を指すことが多かったが、時代が下ると紅葉も示すようになった。紅葉する樹木の中でも、とりわけ鮮やかに色が変化するカエデは、別名モミジとも呼ばれる。また、秋の紅葉の季節になると牡鹿が牝鹿に恋して啼くことから、「紅葉と鹿」は取り合わせとして詩歌や俳句などに広く使われ、鹿肉の俗称にもなっている。


「えっ……?」

 紅葉は、急に後ろから話しかけられて、ビックリして振り返った。

「正式な民族学者に見せたのかい? お嬢さん」

 燃えるような赤髪の青年が立っていた。少し顎髭と口髭が生えている。オリーブ色のシャツに灰色ジーンズ。焦茶色のハンチング帽からキツネの両耳がちょろっと覗き、ギラギラしたエメラルド色の双眸で、紅葉の顔をじいっと見ていた。

「い、いえ。お医者さんに見てもらっただけです……」
「サウザス病院の?」
「はい。ヴィクトル先生、ロナルド先生、テレサ先生……」
「医者はこの辺に住んでる民族のことしか知らないよ。病院にかからない少数民族はたくさんいる」
「アーサー、勝手に口を挟まないでちょうだい」

 モイラはピシャリと叱ったが、紅葉はアーサーのことが気になってしまった。

「……ええと、そう、当時の調査によると、ラヴァ州の住民登録簿では、紅葉さんに該当する名前年齢民族の少女は見つからず、それらしき失踪届や誘拐事件もなかったそうよ」
「そ、そうなんですか」
 背後のハンチング帽が動く気配に、紅葉はなかば上の空で答える。
「州の登録簿は、ウーム、いい加減だからねえ……」
 今まで黙ってた社長のジョゼフが、アーサーの横槍に端を発したのか、アゴを撫でながらインタビューに参加してきた。
「サウザスでも、東区の人間は半分くらい未登録でしょうね」
 黙りなさい、と言う風に、ジョゼフを睨みつけながらモイラが答えた。

「ラヴァ州外で登録されてる可能性はあるけど、そこまで捜査はしてないみたい」
 当時の新聞記事を、細かくめくりながらモイラが喋る。
「政府の重要人物でもない限り、州外の協力は見込めないからねえ……」
 ジョゼフは唸りながら、アゴを仕切りに撫でていた。
「でも、かなりスキャンダラスだった事件よ。珍しく州警が関わってる。異例なことに、ラヴァ州全土にこの事件を報道するよう指示したの。……でも、犯人の情報や、少女の関係者らしき人物は見つからず、捜査はいったん打ち切りになった……」

 モイラの声がだんだん小さくなっていく。紅葉は、頭がボーッとしてきた。

 

 これは、前から薄々考えていたことだが……紅葉の本当の両親は、何らかの犯罪に手を染めていたんじゃないかと……疑っている。

(私の親……もう死んじゃっているのかな……)
(きっと犯罪の報復とかで、娘の自分がこんな目に遭ったのかも)
(だから全うな住民簿も無いし、家族がいつまで経っても現れないんだ……)
(あ。もしかしてオーガスタス町長も……同じ犯罪に手を染めた?)

「何を考えてるんだい? 紅葉ちゃん」
 痺れを切らしたアーサーが、バン! テーブルを叩いた。
「机を叩くのはやめなさい、アーサー!」
「室長! このままインタビューを続けても既存の情報しか出てこないぞ!」
「情報を整理するためにしてるのよ!」
「ああ、そうかい!」
 アーサーは、紅葉が座るのソファの、肘掛け部分にドカッと座った。

「オレは事件の解決を目指してる!」

 アーサーがエメラルドの瞳で紅葉を見つめた。
 紅葉は彼の右耳に、ピアスを2つ着けているのを知った。指輪のような形のシルバーピアスと、エメラルド石が入った金のピアス。ピアスは瞳の色と同じ、鋭くキラキラと輝いていた。

 太陽はとっくに暮れて、窓の外を黒い闇が覆っていたが、この人が事件の謎を解く一筋の光になるかもしれないと思った。

 

 

「……ねえ、なんでこのシチュー、美味しい匂いがしないのかしら?」

 フレヤが不満そうに、シチューの皿をかき回していた。
「ショーンが呪文に失敗したんだって、昨日言ったろ」
 リュカがなんでもないように、ズズーッと汁をすすった。

 あれから《消臭呪文》が抜けないまま、鍛冶屋トールの1日が経った。
 昨日は休日ということもあり、一家は中央通りのレストラン『ボティッチェリ』にてディナーを取った。今夜は自宅で、リュカがこしらえたタマネギシチューとアップルパイを食べている。

「お兄ちゃん、明日になれば匂いは戻るって言ったじゃない」
「まだ『明日中』だぞ」
「ふざけないで!」

 フレヤはバン!と大きく机を叩いた。シチューはフレヤの大好物だが、香りがなければドロドロの小麦粉を溶かしたような味しかしない。

 

「……ショーン君は結局何をしにきたんだ?」

 オスカーが、樫の木のように大きな手で、黒糖パンを小さくちぎった。父はいつも喋りだしがゆっくりだ。
「さあ、何しに来たんだろうな。なんか来てすぐに帰っちまった」
「なんだそれっ!バカじゃん!」
 ボルツがバンバン机を叩き、母エマがやめなさい!と暴れん坊の両手を握った。

「もう…ショーンちゃんが、遊びに来てくれてたのなら上に言って…久しぶりだったのよ……もー暴れない……」
「ちょーちょーが死んだ!チョーチョーが死んだ!」
「ボルツ、黙りなさいッ!」
 先割れスプーンをカンカン鳴らして騒ぐ弟に、フレヤがやれやれと両手を振って溜め息をついた。

「ボルツは町長が何か分かってないのよ。きっとチョウチョだと思ってるの」
「へえ、フレヤは町長を知ってるのか?」
 銀のナイフでアップルパイを切り分け、妹に渡しながらリュカが訊いた。
「もちろん知ってるわ! えーと、サウザスで一番偉い人!……そうよね?」
 彼女は小首を傾げ、歳の離れた兄のリュカに確認した。

 

「……エマ、あれから何か続報はあったか?」

「いいえオスカー! お昼の号外が出たっきり、夕方は大したことは載ってないわ。州警察は何をしてるのかしら」
「………捜査が難航してるんだろう…………容疑者が多すぎる。」
「号外って?」
「まーやだ、リュカったら見てないの?」
「朝刊だけしか」

 ちゃんと読んでおきなさいと険しい顔をした母が、今日の新聞をまとめてリュカに手渡した。
 食後にクルミコーヒーをいただく父親の横で、「お兄ちゃんてば、ほんとうに世の中のことに疎いんだから!」とフレヤが無邪気にアップルパイを頬張っている。
 リュカはサボテンビールを飲みながら、順に読んでいき……10年前の事件の記事に、ギュッと眉間に皺を寄せた。