「オーナー……どういうことですか、何でこんな壊れているんですか」
 「……階段から落としたんだ」
 無残に打ち捨てられた甲冑が、物置でじっと佇んでいた。
  現場を押さえられたオーナーが、苦々しく項垂れている。彼の立派な白ヒゲは、砂埃を被ってくすんで見えみえた。
 甲冑には、確かに階段から落としたらしき凹みもあったが……
 「ふーむ、落下しただけっすか? 何かに打ち付けられたように見えるっスけどねえ」
像の最も大きな破損箇所は、下半身だ。向かって右から左にかけて……つまり甲冑にとっては左脚部分が、何か大きいモノに襲われたかのように、ひしゃげて破壊されている。
「いったい何があったんですか?」
 「……階段から落としたんだ」
  戦斧の柄は折れ曲がり、腕から離れて役目を失っていた。台座にも深いヒビが入っており、立て起こすのも困難だった。
「答えてください、オーナー!」
 「…………階段から落とした」
  苦々しく答えた彼からは、それ以上の回答は得られなかった。
かわいそうな甲冑は何も語らず、夕陽の中、静かに眠っている。
「いちおう上に伝えておきますけど、埃を長期間かぶっていましたし、直近で動かされた形跡はありませんでした。町長事件との関連性は正直ないと思うっす」
 「ああ……」
 事件と関係はない——それはリュカにも分かっていた。
  けれど何かが引っかかる。
 2人はトボトボと役場への道を向かった。
 「ペーターさん、今日はありがとう」
 「いえいえ、お役に立てたようで。また何かあったら頼ってくださいッス」
 「うん、頼もしかった」
  ペーターは妙にそわそわしている。
「よかったら、うちの店に寄っ」
 「わあ、いいんスか!? ヒャッホウ!!!」
  かくして兎警官は、ぴょんぴょん跳ぶように鍛冶屋トールへと向かった。
「まさか今まで、その警官の相手してたのか?」
 「まあ……他にも色々あったんだが……そんなとこだ」
  背中を丸め、疲れを見せるリュカに、ショーンは呆れながらクスクス笑った。
「でも、あの店を初めて見たら興奮するだろうなー」
 「喜んでたよ。うちのナイフもお礼にあげたし」
 「へぇ〜」
 「……ねえ、リュカは何でその斧を持ってきたの?」
  紅葉は、とうとう我慢できずに彼に聞いた。
「これか。ショーンにいちおう調べてもらおうと思って」
 「……調べるって、呪文痕を?」
  うっかり気軽に受け取ってしまったショーンは、想定を超える戦斧の重みに、ぎゃッと叫んで腰を落とした。
「他に呪文で調べられるもんがあるのか?」
 「血痕や指紋とかかぁ? それはすでに警察が調べてるんじゃないか……」
  ショーンがサッチェル鞄から【星の魔術大綱】を出そうとした。手持ちの戦斧がベッドにぶつかりそうになり、慌てて紅葉が受け取った。
(あ………)
  初めて感じる鉄の武器の重みを、紅葉は自分の手の中にシッカリと感じ、ゾクリと皮膚が泡立った。
 (……この感触を、わたしは知っている)
  ドクンと、紅葉の心臓が強く波打ち、次の瞬間ドッドッドと鼓動がはやく早く高鳴っていった。角が……手が………熱い!
 
 「紅葉?……紅葉、どうした?」
 「ん、なんだ?」
  ドクドクドクドクドッドッドッドッ。血の鼓動が止まらなかった。鉄で呼び覚まされた熱い血潮が、紅葉の激情を揺り動かした。皮膚が、細胞が、張り裂けそう────
「なんだ紅葉、ぶん回したいのか? いいぞいいぞぉ〜、ちゃんと革の手袋使えよ。摩擦で皮膚が擦れちまう」
  リュカの間抜けな一声で、急にしゅーんと紅葉の熱が冷めていくのを感じた。
「……だ、大丈夫、何でもないよ。呪文に使うんでしょ、はいどうぞ」
  毒気が抜かれた紅葉は、フゥといったん落ち着いて……ショーンの前に斧を差しだした。
「……どうかしたか?」
 「いやいや。立派な斧を握ると、ヒトはどうしてもブン回したくなるからな。ロマンだよ、ロマン」
  訝しがるショーンを尻目に、リュカは丸太のような腕を組み、満足そうに頷いている。
「ほんとに大丈夫か、紅葉」
 「ううん、こんな立派な斧を振り回したら、危険だもんね。体が真っ二つになっちゃうよ」
 「マップタツって……そんな切れないだろ」
 「失礼な、硬い鱗の皮膚でもスッパリ切れるぞ!」
ショーンの脳裏に、監察医のベルナルドが舌をチロチロさせている姿が思い出された。
『斧のようなもので右横から切り落とされたようだ。
  数回切りつけた跡があるな……薪用の手斧よりは大ぶりだ。
  戦斧かもしれない』
 記憶の中のベルナルドは、確かそんな風に言っていた。
  今度はショーンの心臓が、ドクドク熱を持ち始めた。
(——まさか、この戦斧か? 
  立派な刃渡りを持つ斧だ。尻尾も余裕で叩き切れそうだ。
  けど甲冑にずっと固定されていたはずだし、
  それにあの尻尾を叩き斬れば、刃こぼれだってするだろう。
  警察の調べでは血痕はない。
  ああでも「解体ショー」ってまさか……?
  いや、でもアントンは深夜に尻尾付きの町長を見ているのか。
  『ボティッチェリ』で解体、ってことはないはずだ。
  では何だ。何が気になる———)
『ふむ、大きな傷だね。カルテによると家具にぶつかったとか』
 『レストランでね、酔っていたのだろう』
「———ああああ!」
  レストランで作った町長の古傷。
  あれは『デル・コッサ』の甲冑に違いなかった。
「ウエッ……ショーンか、どうしたんだよ」
 病院の扉を叩いたら、アントンが出てきた。
 「アントン。ウエって何だ、ウエッて」
 「お前が関わるとロクなことないんだ。いつだってそうさ」
 「うるさいな……そっちこそまだ病院にいたのか?」
 「ボクは父ちゃんに付いてるんだ。見張りも兼ねて。役場の上司もここにいろって」
夜の病院はひっそりと静寂に包まれていた。持病の薬を待つ夜の患者らも、みな目を閉じ、名前を呼ばれるまで思索に耽っている。深夜病院の雰囲気に全く似つかわしくないショーン、紅葉、リュカの3人が、アントンの前に立っていた。
「おい待て、なんだぁそのデカい斧は。病院に持ち込むな」
 「紅葉が勝手に持ってきちゃったんだよ。そうだアントン、裏に来てくれ」
  アントンがいるならちょうどいいと、人目のつかない裏手へ連れ出した。(その間ずっとリュカと紅葉は後ろの方で、「アイツらトモダチになったのか?」「友情が芽生えているね」とコソコソ陰口を叩いていた)
「頼む。町長のカルテを見たいんだ。持ってきてくれるか?」
 「なんだ、またこっそりか?」
 「うん」
 「ったく、いくらアルバ様でも、病院には守秘義務ってモンがあるんだぞぉ」
 「そこを何とか、サウザスのためだ……!」
 「はぁ〜バレたらヤバいのに……チッ、しょうがないか」
病院に来るまで、ショーンは、真っ向から院長に頼もうと乗りこんできた。けれど……息子のアントンを見て方針を変えた。これ以上、ヴィクトルに心労はかけられない。
院長の倅は、髪をクシャクシャかきながら、病院の中へ消えていき……半刻ほど待つと、大きな手提げ鞄を持ってやってきた。
「ほら、町長のカルテ。間違いないな」
 「ありがとう」
  茶色に褪せた表紙に、オーガスタス・リッチモンドと書かれていた。街灯の乏しい光でページをめくる。めくって…めくって……
 「……あった」
オーガスタス・リッチモンド 金鰐族
日付:皇暦4567年03月07日
 内容:尻尾 右側部に50センチの切創
 手術:===============
    =============== 
    ===============
 投薬:===============
    ===============
 備考:レストラン『デル・コッサ』にて、町長秘書エミリオ・コスタンティーノを尻尾に突き落とした弾みで、置物の鉄甲冑と衝突した模様。エミリオは腰椎粉砕骨折により、重傷
「……何てこった」
 ——やはり、あの甲冑は町長によって壊されたものだった。
 「普通はカルテにこんなこと書かないぞぉ。父ちゃん、記録しておいたんだ」
  アントンが苦々しい顔で唸った。
「エミリオさん、やっぱり町長のせいで骨折してたんだ……それで他の兄弟たちが、町長をボティッティリに呼び出したのかな」
 「ええっ、まさかこれが事件の動機だっていうのか。犯人はユビキタス校長じゃなかったのか?」
 「いやでもボティッチェリにも警護官はいたんだろ。何かあったら彼らが言うはずだし、あの場では何もなかったと僕は見ている」
 「——待て待て待て待て!」
  好き勝手話だす面々に、リュカが両手を広げて制した。
「ちょっと待て!」
 「なんだよ、リュカ」
 「とりあえず確認しておきたいんだけどさあ、誰もこの事件を知らないのか? 秘書のエミリオが町長に骨折させられた話」
  みんなは目を見合わせた。
「こんな事件あったら、普通は逮捕されるか……少なくとも新聞やラジオで報道はされるだろ。オレは新聞あんま読んでないけど……みんな知らないのか?」
 「……私は知らないよ」
 「ボクだって知るかぁ!」
 「だから、町長側が隠蔽したんだろ」
  ショーンはイライラしながら答えた。そこは今問題じゃないぞと言いたげに。
「でもアーサーって新聞記者は、そのエミリオのこと知ってたらしいんだよ。だから、新聞社だったら他にも何か知ってると思う」
 「じゃあ、モイラさんに聴きに行こうよ。彼女、全部の事件を覚えているらしいし」
  紅葉が、新聞社の方角を指をさした。
「待てよ。向こうが素直に教えてくれるか? だって一度は隠蔽されてるんだぞ」
 「う、うぅん……」
  紅葉はすっかり顔が利くつもりになっていたが、確かに教えてもらえる保証はない。
「よく分っかんないけどお……スクープでもあればいいのか?」
  アントンは、ショーンから町長のカルテを奪い、パラパラとページをめくった。
 「返せよアントン」
 「シッ……父ちゃんは患者に見せたくないメモを、人体図の裏にいつも書いてる」
  ペリペリと、カルテに糊付けされた人体図面を、太い指で剥がしていった。
「これだ」
病気の部位や症状について、濃い青インクの万年筆で記載された図面の裏には…………10数名の人物名が綴られていた。日付と名前と怪我の部位が、わざわざ薄い黒鉛筆を使って書かれている。
「これ…………町長が怪我させた相手か!」
  アントンが見つけたのは全部で4枚。相当古くからあり銀行時代のもある。
 「うへえ、こんなにいんのか。マジかよ…………」
  さすがにエミリオ並みの重傷者はなく、多くは軽症に終わっているが……オーガスタスの被害者名簿には間違いない。
「これは……警察でも把握してないんじゃないか」
 「新聞社でも知らないと思うよ……」
  紅葉とリュカも、口々にしゃべった。
「アントン、これは相当な取り引き材料になる。使わせてもらうぞ」
 「待てよ、新聞社に持ってく気か?! 父ちゃんの許可も取らずに」
 「大丈夫、ネタとしてチラつかせるだけだ。原本は大事に持ってろ。印刷しといてくれると助かる」
  ショーンは勝手なことを抜かし、「新聞社へ行くぞ!」と幼馴染3人は団結して拳を握った。
「えっ、もう行くのか。おおい、待てよショーン!」
 「ありがとうアントン! また改めて礼をする!」
  別れの挨拶もそこそこに、ショーンたちはバタバタ急いで新聞社へ行ってしまった。病院裏の樫の下には、アントンと町長のカルテだけが残された。
「チッ、あいつら……取り引きって…………何をだよ」
  アントンは呆れながら、手提げ鞄から別のカルテを取り出した。
 「——町長っていうから、ユビキタス先生のカルテも持ってきたのに」
  病院長の息子はボリボリと頭をかきつつ、もう一つのカルテをペラリとめくった。


