第4話【Gargoyle】ガーゴイル1

[意味]
元は、雨樋の排水口に装飾された怪物を意味する。

[補足]
ラテン語「gurgulio(喉)」に由来する。古代より、排水口を装飾する文化が存在し、主にライオンや魚の石像が使われていた。12世紀頃からゴシック建築の排水口に、怪物キマイラ像が使われはじめ「ガーゴイル」として有名になった。現在は、屋根や門庭にある怪物石像も同様に呼ばれている。ガーゴイルはただ恐ろしいだけでなく、魔除けの役割も担っている。


 3月8日地曜日ちようび。時刻は不明だが、多分朝9時半。

 紅葉は何が起きたか分からないまま、役場の一室に拘束されていた。

「食事です。どうぞ」
「……えっと、私、どうすればいいんですか?」
「……みなさん順番にお呼びしてますので、少々お待ちください」

 灰ライラック色のロングワンピースに清潔感のあるエプロンを付けた、給仕の女の子が出ていった。こざっぱりした彼女の服を見て、紅葉はのそっと自分の服装を見下ろした。

 今の恰好は、少々くたびれた白ブラウスに革のベスト。皺の伸びた焦茶色のワイドパンツを履いている。もう少し良いのを着てくるべきだったと、下唇をそっと噛んだ。

 給仕が持ってきてくれた皿の上には、バター付きパンと、豆の水煮と、木の実が少々。装飾のない白いカップにコーヒーが淹れてある。見た目はそこそこ美味そうだけど、どちらも熱が冷め、若干ぬるくなっていた。

 紅葉はカップの縁をきゅっと握り、小さく啜りながら、今朝の出来事を反芻した。

 

 今朝、サウザス警察が酒場にやって来て『町長の姿が消えた』と報告してきた。ただ消えただけでなく、切り落とされた彼の尻尾がサウザス駅で発見されたようだ。
 ショーンと紅葉は、パジャマ姿のマスターに慌ただしく呼びだされ、半ば寝起きのまま役場に連行されてしまった。

 ショーンはアルバだから分かる。尻尾の治療もできるし、何か魔術を使って捜査に協力することもあるだろう。
 でも、紅葉がここにいる理由がわからない。町長とは直接話した事もないし、失踪について知っていることもない。
 唯一、関係があるとすれば、駅に吊るされていた件だ。紅葉は10年前にサウザス駅で吊るされて発見された。

 ──でも、何も知らないし、何も覚えていない──。

 

 彼女がハッキリとした意識を取り戻したのは、事件が起きてから1年近く経った後で、己にまつわる一切の記憶を無くしていた。
 あの事件に関しては紅葉本人よりも、担当した警察官とか、コリン駅長やショーンの両親の方が、まだ詳しく知っている。その程度しか分からない……。

「分からない…………うん、『分からない』ってことが分かったね」

 この世の真理に到達し、ふぅーと長い溜息をついてカップを置いた。寝ぼけ眼のまま連れて来られて、不安だったけれど、コーヒーを飲みつつ状況を整理したら、気分が落ち着いて余裕も出てきた。
 しかし、町長の失踪となれば、関係者はかなりの人数になるだろう。紅葉の参考度は低いだろうし、順番は後回しになると思われる。今こうして個室に通されてるのも不思議なほどだ。

「ショーン、どうしてるかな……」

 紅葉よりはるかに不機嫌な顔して旅立ったショーンは、今頃どうしているだろうか。こうして個室で朝食を取っているか、あるいは町長の尻尾を見せられて悪戦苦闘中かもしれない。
 ショーンの顔を頭に思い浮かべつつ、自分の手を頰にやった時、紅葉は初めて自室に花飾りを忘れたことに気づいた。2本の小さな硬いツノが額を突き抜け、前髪の間からちょっぴり姿を表している。

「……うそ!」

 

 自分のアイデンティティーが不明な紅葉は、これがどんな角かも分からない。小さな細い円錐型でくすんだ生成り色のこれが、なんの民族の角なのか。人に訊かれても答えられないため、彼女はいつも花飾りで角を隠している。
 ショーン曰く、普段は白っぽいこの角は、紅葉が怒ったり笑ったりすると、薄っすら茜色や水色に変わるらしい。今はどんな色をしてるだろうか。

 急に不安の種がぶり返してきた。窓もなく鏡もなく簡素な机と椅子しかない、この部屋が寒い。

「……もうやだぁ。早く帰りたい……っ」

 みすぼらしい服を着てきたことも、花飾りを忘れたことも、もう何もかも嫌になって机の上に突っ伏した。

 

 

 紅葉が役場の一室で突っ伏していた同時刻、

 ショーンは真っ白な無菌服を着せられて、警察署内の死体検案室にいた。

「ヴィクトル。この右側部にある古傷が、オーガスタスの過去の傷と同じものだと?」
「ああ、写真とも一致している。ベルナルド」
「ふむ、大きな傷だな。カルテでは家具にぶつかったとか」
「レストランでね。酔っていたのだろう」

 隣町から監察医ベルナルド・ペンバートンが到着し、サウザス病院長ヴィクトルと尻尾の検分に当たっていた。
 検案室の片隅には、優秀そうな職員たちが仁王立ちで控えており、何やらカリカリと鉛筆で書きつけている。
 医師の会話に入ることも、職員の傍に行くこともショーンはできず、慣れない無菌服の大マスクをゴソゴソさせて、居心地悪く立っていた。

 

 本日、夜明け前の一番列車が、サウザスの駅舎に入る直前に何か大きな物体と衝突した。

 それが目の前の銀テーブルに載せられた、金鰐族の巨大な尻尾である。列車にぶつかって吹っ飛んだブツは、立派な金の鱗があちこち剥がれ、原型はかろうじて留めているものの既に肉塊と化していた。尻尾の主は──現在、消息不明。

 金鰐族は、サウザスに町長一家を含めて何家族かいるが、病院のカルテから、過去の怪我痕が一致したため、町長のものだと判断された。町長は現在行方がわからず、警察が探し回っている。

「尻尾は、斧のようなもので切り落とされたようだ……右横から、何度も切りつけた跡がある」
「切り落としたとは、人力でかね? 金鰐族の尾は恐ろしく頑丈だ」
「ああ。相当頑健な民族か……もしくは、相当怨みがあるか。途中まで叩き切っていたんだろうが……皮膚の具合を見るに、最終的に無理やりねじ切ったようだ」

 監察医のベルナルドが、じっくり尻尾の断面を注視している。病院長ヴィクトルは、監察の邪魔をしないよう、程よい距離感で立っていた。

「犯人はオーガスタスを腹這いにし、彼の右側に立ち、凶器を振り下ろし、そのままの体勢で数十回切りつけ、切断しきった……と思われる。犯人は右利きの可能性が高い」
「それは単独犯か、それとも複数犯かね」
「単独でも不可能じゃないが……失踪時間から考えるに、犯行は複数で行われた可能性が高いな。誰かが抑えに回ったのだろう」

 サウザスで最も医学権威のあるヴィクトルが、聞き役に回っているのは奇妙な光景だった。

 答え役の医師は、蟻食族の監察医、ベルナルド・ペンバートン。

 ラヴァ州東部を中心に、不審死の検案に当たる法医学者である。
 蟻食族の彼は、何かを発見するたび、長いピンクの舌を、マスクからチロンと出す癖がある。ショーンは最初見た時ギョッとしたが、周囲は慣れてるのか、何のアクションも取らず平然としていた。
 ともあれ、彼が、今はこの部屋のボスだ。

 

「斧とは、どのくらいの大きさの斧だろうか。薪割り用か、木こり用か」
「薪用の手斧よりは大ぶりだな。戦斧かもしれない」
「すると、普通の家にはあまり無いものか」
「だが、サウザスの武具屋にはたくさん売っているだろう。ま、斧と決まったわけではない。特大の剣や、包丁かもしれない……」

 ベルナルドはプロの目つきで冷静に状態を見抜いているが、彼が舌をチロチロするたび、ショーンは気分が落ちつかず、尻尾の付け根をムズムズさせた。尻尾は今、白衣の下に厳重に仕舞われている。早く出してパタパタさせたい。

「この背部中央の大きな裂傷と火傷は、列車の衝突時にできたものだろう」
「その後、吹っとび地面に叩きつけられた、と。左側部にそれらしき痕が残ってる」
「それと、尻尾の先端も少しちぎれてるな。これは列車に轢かれた時のものか?……うーむ」

 考察を重ねたベルナルドとヴィクトルは、尻尾の状態を見て、もし彼が生きて戻ったとしても、再び繋ぎ直せないと結論に至った。ショーンの両親なら元に戻せるかもしれないが、息子にそんな高度な魔術の腕はなかったし、繋ぎ直してやりたいという気力も、正直湧いてこなかった。

 

 肉眼での注視を終えた彼らは、自分たちの背丈ほどもある、大きな真鍮製の拡大鏡をゴロゴロ動かし、細い筒のレンズを覗いて、尻尾の様子を観察し始めた。

「鱗の間にほんのわずかに、木屑が混じっている。そして背部全体に5ミリ大の縄痕……縄の繊維は……麻だ」

 職員らは、必死にカリカリ書き取っている。
 急に探偵小説の推理シーンが始まったようで、ショーンは少しドキドキしてきた。

「全体の様子が見えてきたな。オーガスタスは腹這いになった下に、木の長板を敷かれ、その上から縄でぐるぐる巻きに拘束されていたようだ」
「抵抗の跡は?」
「それはもう思いきり。木屑のほかに土も混じっている。柔らかい黒土だ」
「──黒土?」

 ヴィクトルとショーンは目を見張った。
 サウザスは赤土の大地。黒土は、園芸あるいは農業用に、別所から輸入されてきた土だ。
 といっても、西区のお屋敷、学校の校庭、東区の農場……酒場ラタ・タッタにある小さな畑でさえ、黒土は多くの場所で使われている。これで場所の特定になるかどうかは……。

「むろん赤土も混じっている。だが縄痕の周辺に多く残っているのは、黒土だ」
「抵抗時に入り込んだか?」
「底部の状態を詳しくみよう。君たち、回して」

 監察医はくるりと指を振った。周囲に待機していた職員たちが、尻尾を数名がかりで持ち上げている。ベルナルドとヴィクトルがいったん机から離れた。質問するチャンスはここしかない。

「あの、これは………… 10年前の事件と関係ありますか?」

 オーガスタスの尻尾の治療を断念した今、ショーンがここにいる意味はあまり無かったが、どうしてもこれを訊いておきたかった。

 

「10年前……の事件?」

 ベルナルドは怪訝な顔を浮かべ、ヴィクトルはグッと目を細ませた。

「10年前にサウザス駅で、少女が生きたまま吊るされて発見されました。ちょうど夜明け前、同じ時間帯に……」
 ショーンが必死で説明するも、まだピンと来ていない監察医に、ヴィクトルが補足しようと口を開いた。

「──あぁ、何かと思えばあの事件か。そうだな、似たような状況だった」
 合点がいった蟻食族の尻尾が、モソッ、と無菌服の下で持ちあがった。洞穴熊族の病院長は、出かけた口を引っこめ一歩下がった。

「何かご存知ですか?」
「知らん。君のご両親が、警察すら入れずに治療していたからな。人命救助の点からは立派だったが……事件の究明は大きく遅れた」
「ええっ…!……そんな」

 そういうこともあるのか。

「私からは、関連性は今のところ解らん。詳しいことは警察に聞きたまえ。当時の資料を調べた方が早い」
 ベルナルドが、舌をチロチロ舐めつつ出した答えに、ショーンはガックリと肩を落とした。

「……あの子が記憶を失っているのが誤算だったんだ。ショーン。犯人はおろか、実家すら思い出せないとは思わなかった」
 ヴィクトルが慰めの言葉をかけた。

 ──ああ、そうか。みんな紅葉の意識が戻れば、親元くらいは判明すると思ってたんだ。当時のことをうっすら思い出すと、確かにそのことで揉めてた記憶がある。

 

「そうか、10年前のあの事件は、犯人が見つかってなかったか。同一犯か、模倣犯か、それとも偶然か……まあ尻尾の主が見つかれば何か分かるだろう」
「オーガスタス・リッチモンド……彼はまだ生きていると思うか?」

 町長の大きなダミ笑いを思い出し、ヴィクトルとショーンは顔をしかめる。ベルナルドは自分の大きな鉤爪で、ひっくり返された尻尾の、金色の鱗をそっと触った。

「可能性はある。底部に残る強い抵抗の痕、彼は生きたまま切断されたようだ。出血状況から見ても “尻尾”のみ、切られた可能性が高い」
「……まだ彼は生きていると?」
「生存している可能性は十分にある。鰐の血液は強い抗菌作用もあるし、傷にはべらぼうに強い──無論、犯人次第だが」
「ちょ、町長はどこにいるんでしょうか!?」

 たまらなくなってショーンが叫んだ。
 部外者の無知な質問が、虚しく部屋に木霊する。

「知らんよ。君が調べられないのかね。アルバなのだろう」

 監察医ベルナルドから逆に問われた。不意をつかれた若き帝国魔術師は、舌を握られたように押し黙り、グッと深く俯いた。

「…………ぼくは」

(町長の居場所を調べる……果たしてできるだろうか。なんの専門知識も経験もない、平穏な田舎町サウザスで、ひたすら町民のケガを治すだけの、この僕が…………)

 ショーンをよく知る病院長ヴィクトルは、ジッと床を見つめる彼を哀れみ、
「警察が帝国調査隊を呼んでいる。到着次第、彼が調べるはずだ」と、優しく庇ってくれた。

 その後、ふたりの医師は一瞥もくれず、検視作業に没頭した。

 

「犯人は、尻尾の断面に、鉄の鉤針フックを食い込ませ、駅に吊し上げた……」
「……このフックは、どこのものか判明してるのかね?」
「……ええ。大型の肉や魚の吊るしに使われるフックです。市場にならどこにでもあります」
「フン、食用か、悪趣味な……」

 すでにショーンの意識は朦朧としていた。白いタイルで覆われた青白く光る検案室は、独特の消毒薬の匂いでクラクラする。周りにいる職員たちが、冷静にペンでカリカリ書きつける中、ショーンはぼんやり立って過ごした。

 

 

 小1時間後。

 検分を終えたオーガスタスの尻尾は、検案室奥の冷凍箱に保存された。
 ベルナルドもヴィクトルも、それぞれの場所へ帰って行き、ショーンはまだ取り調べがあるからと、警察署に取り残された。

「…………お腹すいた。」

 時刻は午後1時半。朝から何も口にしてなかったショーンは、警察署に用意してもらった味のないオートミールを、無我夢中でかき込んだ。