東京の女子高校たちのアイスコーヒー

 井出理香子は高校生にしては多くの趣味をもっている。まずは音楽鑑賞。小さい頃から習っているピアノ、高校から始めたベース。観葉植物を育てること。そして、最後にコーヒーがある。
 コーヒーを淹れるには多くの工程がある。まずは豆を買ってきて、ミルで挽いて粉にして。お湯を沸かして、ドリッパーにフィルターを敷いて粉入れて、お湯をゆっくり回しながら注ぎいれると……完成。
『こうやってね、少し間を開けて蒸らしながら注ぐんだよ』
『なんでよ』
『香りが立つの。ああ、ダメだって、溢れちゃってる!』
『もういやだ!』
 せっかちな新田マリーは、上手くコーヒーを淹れられたことはない。一方、理香子は毎日時間をかけてコーヒーを淹れていた。

 

 夏休み3週目の真っ昼間、理香子はいつものように自宅のキッチンで、コーヒーを飲もうとしていた。
「あんた熱くないの……?」
「平気だよ。クーラー効いてるし」
「でも夏だとホット飲む気にならなくない?」
「えーそうかな」
 理香子家のキッチンコンロでは、注ぎ口の細ながーいコーヒーケトルから、しゅんしゅん湯気が湧きたっている。アスファルトに咲く芋虫のように死にかけているマリーは、自宅リビングのローテーブルにタブレットを立てかけ、ソファで寝ころんでいた。
「それ、どこのコーヒー?」
「ケニアだよ」
「ケニア……ってどこだっけ。マサイ族のいるとこだよね」
「んっとね、アフリカの中央東側。ちょうど赤道があるんだよ」
「へー」
 理香子がコーヒー豆の袋に描かれたケニアの位置を見せてくれた。ケニアはサバンナしか知らなかった。昔みていた野生動物のテレビ番組を思い出す。
「コーヒーはね、アフリカの他にも中央アメリカとか東南アジアとか、赤道付近で栽培されているんだよ。ここよりずっと熱い地方で作られてるの」
「そうなんだ」
「つまり、ホットコーヒーは暑い時期でも正義ってことだよ!」
「…………」
 お湯の湧いたケトルを手に取り、理香子は元気にドリップし始めた。マリーは皮ソファの上でもっちゃりしながら、夏でも冷たいペンギンのぬいぐるみをギュッと抱く。
「あああ、自由研究決まんないぃー」
 掃き出し窓の向こうの鮮やかな青空を見つめてゴロゴロしながら、毎日確実にカウントの減っていく夏休みを恨んでいた。

 

 

 マリー家のリビングでは両足で蹴られた丸ペンギンが、天井までポンポン飛んでいる。理香子はスタバの店員みたいなエプロンをつけて、コーヒーを淹れる様子を映していた。砂時計のようにくびれたガラスのドリッパーから、黒い液体がぽたぽたと落ちていく。
「なんで高校生にもなって自由研究なんてあるのかしら」
「なんでもいいじゃん。小学校の時と違って理科の自由研究じゃないし」
「……理科ねぇ」
 小学校1年の時はアサガオの観察日記をつけていた。結局枯らしてしまった日記をみじめな想いで提出したら、理香子はサボテンの観察日記をつけていた。こりゃ楽だと真似をしてずっとサボテン日記を出していたら、さすがに小5の時に怒られた。その時の理香子の自由研究は、コーヒーの研究だった。
『よくそんな難しいの選んだね』
『おじいちゃんにね、手伝ってもらったの』
 研究内容は、コーヒーの豆をいくつか選んで味の感想を述べたり、挽き方の粗さで味がどう変わるのか考察したもの。
『コーヒーなんて苦いじゃん』
『苦くないコーヒーあるよ。豆によって味が違うの、美味しいよ』
 学校帰りにいわれた理香子は、マリーのランドセルのキーホルダーをひっぱり、そのまま都営大江戸線でおじいちゃん家に連れていかれた。
 彼女のおじいちゃんは青山で古くから喫茶店をやっている。いまだに真四角のアナログテレビがある店だ。ダンディな白髭に小さな黒い丸眼鏡。赤いチョッキを着て、オシャレが服を着たようなハイカラおじいちゃんは、突然訪れた理香子とマリーに、コーヒーを淹れてくれた。
『ここで自由研究やったの?』
『ううん家だよ。おじいちゃんはコーヒーの淹れ方を教えてくれたの』
 おじいちゃんは、高級そうな群青色の陶器のカップで、温かいコーヒーをだしてくれた。
 うまい。
 砂糖を入れてないのにあまい。
 味も濃い……濃いのに飲みやすくてサッパリしてて……なんだろう、何?
 今まで紙パックのコーヒー牛乳しか飲んだことのなかったマリーにとって、衝撃的な味だった。
『ね、苦くないでしょう。この豆はね、甘味と酸味があるの。ケニアの~~産だって。~~挽きで~~度で淹れるとね』
 理香子はウンチクを述べていたが、マリーは初めての体験にショックを受けていた。
 CMでよく聞く「芳醇な味わい」って、こういう味だったんだ。
『コーヒー……って、すごい』
『ボクにも頂戴』
 隣に座る丸いぬいぐるみのペンギンが、小学生のマリーに話しかけてきた。

 

『あんた何でここにいるのよ!』
『ボクにもコーヒー頂戴』
『あーもう、こぼさないでよね』
 マリーは丸椅子に座る自分のペンギンに、黒いコーヒーを一口あげた。彼は今年の夏休みに入る前、大型スーパーで父に買ってもらったぬいぐるみだ。
『うむ……味わい深いね……』
 ペンギンは短いヒレでカップを持ち上げ、目をつむってジックリ香りと味を堪能している。自分もさっきこんな顔をしていたのかと、マリーは恥ずかしくなった。
『きっとアイスコーヒーにしても旨いだろうな。マスター、もう一杯お願いできるだろうか』
『ちょっと、何を勝手なこと言ってんのよ!』
 寡黙な理香子のおじいちゃんは、スッと二杯目のコーヒーを作り始めた。
『ボクは特別な氷を南極から取ってくるから。待っていたまえ』
『えー南極? 私も行きたい!』
 理香子もすくっと席を立ち、ペンギンと一緒に喫茶店から出ようとした。
『ちょっと待って、あたしもついてく!』
 さすがに所有者として勝手に行かせるわけにはいかない。小学生ふたりとペンギン一匹は、青山の喫茶店を後にした。

 

『それでどこに行くのよ』
『南極だと言っただろう』
 彼らは都営大江戸線に乗り、地下鉄は六本木方面へ向かっていった。
『電車でどうやって行くっていうの!』
『分かった、成田空港へ行くんでしょ!』
 あせるマリーに、海外旅行に行ったばかりの理香子はキャッキャとはしゃいでいたが、
『そんな遠くへは行かん』
 ペンギンは、青山一丁目から数駅先の、築地市場に降り立った。早朝の東京で一番活気あるこの場所は、夕方の今はマッタリと空気が流れている。ペンギンは小さな体を生かしてヒョイヒョイとごみごみした道を抜け、巨大な冷凍庫が並ぶ倉庫にたどり着いた。
『うわ寒い……』
 普通の家の冷蔵庫より一回り大きい冷凍庫が、何十個も並んでいる。一番奥の白い冷凍庫の前に到着すると、頭にハチマキを巻いた細い紫色のペンギンが、グラサンをかけ競馬新聞を読んでいた。
『合言葉は?』
『 “アイスコーヒー” 』
『よし、通れ』
 がちゃんと冷凍庫の扉が開いた。一面水色の氷柱のトンネルだった。
 冷気と寒風の中を、目をつぶり進んでいくと、突然風がやみ、マリーは妙な感触をスニーカーで踏んでいた。
 恐る恐る目を開けると、南極の流氷の上に立っていた。

 

『わぁー。すごい南極だあ!』
『氷なんてどうやって持ち帰るのよ!』
 小学生ふたりでも狭い小さい流氷は、心もとなげに海面にプカプカ浮いている。
『待ちたまえ、今から絶好の場所へ向かう』
 ペンギンが腰から黒いステッキを取り出し、トントンと流氷の端を叩いて氷を滑らせた。あちこちに流氷が浮かぶ陸地付近から一度遠ざかり、南極氷河の沿岸をスルスルと小船のように進んでいった。
 遠くで傾いた氷山の塊がすべり、ドォーン!と南極海に落ちていく。
『見て、マリー! ペンギンさんだよ!』
 氷山の手前の丘にいた白黒のコウテイペンギンの群れが、次々と海へと潜っていった。
『静かにしたまえ、あそこだ』
 ペンギンはそっと正面をヒレさした。
 そこは、崖。
 鮮やかな青い氷の崖──いや、ただの青ではない。空の青と、海の青の、一番美しい青だけを集めたような青色の崖だった。
『棚氷というんだ、少し頂こう。あまり取ってはいけない』
『知ってる。最近は温暖化で溶けちゃっているんでしょ?』
『その通りだ』
 ぬいぐるみのペンギンは、小さなナイフで棚氷を四角く切りだした。かき氷用のデザートグラスに数個入れ、うやうやしく上に掲げた。氷と流氷と空の光がプリズムとなって虹に光り、内部にある氷の青をさらに際立たす。
『美しい……!』
『キレイだねぇ』
『いいけど、どうやって青山に帰るのよ』
『カンタンだ。海へ潜って帰る』
 ペンギンはステッキでゴツンと床を叩いた。乗っていた流氷が90度にひっくり返る。
『冗談でしょ、ペンギンじゃないのに!……イヤあああああッ!!』

 

 

 ザブン! と暗い南極海に潜って、一面黒いコーヒー色の世界になった。
 気づけば青山の喫茶店に座っていた。
 隣席にぬいぐるみのペンギンはおらず、目の前のカウンターには、アイスコーヒーが提供されている。
『凄いねマリー。アイスコーヒーなのに香りがするの』
 理香子がにっこり笑って、かき氷の器のような幅広グラスに、虹色のストローをくぐらせた。店の奥にあるアナログテレビから動物番組が流れており、南極の様子が映っている。氷山をペチペチ歩くコウテイペンギンの群れを見ながら、マリーは二杯目のアイスコーヒーをズズッと啜った。

 

 あれから理香子のおじいちゃんは、中学生の時に亡くなった。青山の喫茶店は売却されて、今は別のお店になっている。
「あんたの自由研究、今年もコーヒーなの?」
「うん、毎年やってるし」
 理香子はおじいちゃんが淹れたコーヒーの味を求めて日々研究中だ。彼女はキッチンの冷凍庫から、四角い氷を取り出した。
「見てマリー。これ」
 澄んだ青色をした氷だった。
 空の青と海の青の、一番美しい青だけを集めたような色。
「きれいでしょ。南極の氷だよ」
 カランカランと、黒い液体に氷を入れて、コーヒーは、アイスコーヒーになっていく。
 マリーはペンギンをぎゅっと抱きしめながら、その様子をいつまでもタブレット越しに見つめていた。自分の自由研究をどうしようか考えながら。
 夏の盛りはすでに過ぎ、季節はゆっくりと移り変わっていく。

作者の後書き

「東京の女子高生たちのアイスコーヒー」いかがでしたでしょうか。作者の宝鈴です。
「夏の5題小説マラソン」の4作品目 お題「アイスコーヒー」の短編になります。

ちょいちょい出てきた理香子のコーヒー好きがやっと明かせました。
……あんまり理香子活躍してなかったな……あれ?
今作で初めてふたり以外に喋るキャラが出てきます。
ふたりだけの世界もいいのですが、同じ構成になるのを避けたかったので、こういう内容になりました。

私もコーヒーは好きでほぼ毎日飲んでいます。豆はスタバ、タリーズ、カルディなどで購入してます。全部美味しいので特におすすめとかはないのですが、夏は酸味多め、冬は甘み強めを飲むのが好きです。

また、この話を書く上で参考にさせていただいたのが、「ザ・ミュンヒ」という大阪の喫茶店です。オーナー一人で運営している非常にマニア向けなお店で、通常の10倍の豆で1時間近くかけて抽出するコーヒーや、1杯10万円のコーヒーが頂けるようです。テレビで特集を見ただけなのですが、カフェインたっぷりのコーヒーは非常に濃厚で甘いらしいです。

次回いよいよ最後…!長い夏休みの終わりです!

ケニア photo Pexels by pixabay
南極 photo moodboard by AdobeStock

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