第11章【Black Maria】ブラック・マリア1

[意味]
・囚人護送車の俗称。
・スペードのクイーン。またはその札を主役にしたトランプゲーム。

[補足]
囚人護送車は「police van」「paddy wagon」といった一般的な名称のほかに、ブラック・マリアという俗称がある。19世紀のボストンに、マリア・リーという、宿屋を経営する黒人の女性がいた。彼女は体躯がよく豪気な性格で、宿で暴れる客を警察に突き出したり、身元引受人になったりしていた。警察にも一目置かれた彼女の活躍を称し、囚人護送車をブラック・マリアと呼ぶようになった。


 ルドモンドの警察は、必ず【呪文拘束具】を持っている。

 ユビキタスが呪文を扱えることが判明し、長年、サウザス警察の保管庫で眠っていた拘束具が引っ張りだされ、彼の咥内に装着された。
「こんなので通用するのかね、クラウディオ。ただの轡にしか見えないが」
「問題ありませんな警部! 呪文というのは口で言葉を発して詠唱せねば、成功しないのです!」

 ユビキタスは手足と口を拘束され、目隠しまで着けられた。いくら殺人容疑がかかっているとはいえ、一老人には破格の待遇だ。彼の大きな2本の犀角だけが、アイマスクと拘束具の縁から見えている。

「では、布などで軽く口を塞いでも、呪文は使えなくなるのかね?」
「左様! 呪文拘束具はより発声しにくい形状になっていますがね!」
「無理やり塞がなくても、発声できなくなったらどうなるんだ。例えば病気になったり、老人になれば、うまく喋れないこともあるだろう」

 警部の疑問に、クラウディオはチッチと人差し指を揺らした。
「残念ながら呪文を使えなくなるのですよ、警部。アルバ引退ですな」
「引退なんてあるのか」
「ええ警部。アルバは呪文を扱えることが必須条件なのです。引退しても恩給や手当はでますがね。ま、当人の業績次第ですが」
「ほほう」

 そうしてクラウディオとブーリン警部は、サウザス警察地下の留置場から去っていった。監視を命じられたサウザス警官たちは、複雑な顔で檻の中の囚人を見守っている。彼らも全員ユビキタスの教え子なのだ。

 クラウディオとショーンが暗号の解読に唸るなか——、
 紅葉がアーサーの自宅で組織の話を聞いている間にも——、
 リュカとペーターがレストランを調査している真っ最中に——、
 ユビキタスは、ジッと檻の中で座って、時が来るのを待っていた。


 眠らない出版社の窓は、深夜2時でも皓々と光が灯っていた。

 すっかり顔なじみとなった紅葉が、顔パスで受付を通り、仲間とともに階段を上がった。2階の新聞室は、ポツポツとしか人が残っていなかったが、室長のデスクの周りに軽い人だかりができており、その中にひときわ目立つ、狐族の男が立っていた。

 初めて姿を見たショーンにも、彼が何者かすぐに分かった。

「アーサー・フェルジナンド……?」
「——これはこれは、アルバ様に名前を覚えていただけるとは光栄だな」
 アーサーは自分のハンチング帽を胸に当て、ショーンに向かって一礼をした。

「初めまして、ショーン・ターナーさん」
「こちらこそ……紅葉からお話は聞いてます」
「新聞社に何かご入り用ですか?——それとも情報をいただけるのかな?」

 帽子を被り直したアーサーの瞳の奥から、深いエメラルド色がギラリと光った。それを見たショーンは、ブルリと全身に鳥肌が立ち——ユビキタスの闇を聴いた時と、同じ匂いを感じた。

「……情報を交換しましょう。いかがですか」
「ハハッ、そんな身構えなくても。必要なことがあったら教えますよ」
 アーサーは肩で笑う。まるで彼が新聞社全体を掌握しているかのようだった。

「何せ、サウザスの危機なんでね」
「……はい」

 尻尾の毛がゾワっと立った。紅葉はずっとこんな奴と、ひとりで相対していたのか。隣にいる紅葉をちらりと見て──彼女はアーサーに負けないくらい、黒く鋭い瞳をしていた──アルバである自分がひるんじゃならない。

 ショーンは改めて唾をのみ込み、肩をスッと落とし、新聞室の中心人物たちに向き合った。  

 

 

 新聞社室長の女性が、隣にある応接室へ案内した。
 アルバであるショーンだけがソファへ座り、リュカと紅葉は後ろに立った。室長は録音機を回そうとしたが、ショーンは慌てて断った。

「待ってください、表に出せない情報もあるんです」
「……そう、分かりました」
「表に出せない情報とは?」
 アーサーが肩をすくめて笑った。

「3年前のエミリオ・コスタンティーノ、および町長の負傷事件について、そちらでご存知のことはありますか」

 ショーンの真鍮眼鏡のレンズが光った。
「レストラン『デル・コッサ』での出来事です。隠蔽するよう圧力がかかったのでは?」

 さらに追求した。室長のモイラと記者のアーサーは目を見開き、両者顔を見合わせ……そして、苦虫を噛み潰したような顔で、モイラが答えた。
「……ええ確かに。報道しないよう言われましたわ。町長 “直々” の要請で」
「町長は、よく “お願い” しにくるからね。マメな人だ」
 アーサーは未だクスクス笑っている。

「他に町長から隠蔽するよう頼まれたことはありますか?……その、事件に関係しそうなことで」
 まだこちらが知らないこと——おそらく州警察も知らないことを、新聞社は知っている。それが事件を解く手がかりになるはずだ。

「そりゃまあ、町長のお願いはそれなりにあるよ。でも全部たいしたことじゃない」
 両腕を軽く広げておどけるアーサーを、モイラは横でジッとねめつけていた。


「そう──大事なことは別にある。それは町長自身すら気づいてない事だ」
 簡単な仕切りの応接室には、モイラとアーサー、ショーン一行しか中にはいない。だが、新聞社中の人間がひっそり聞き耳を立てているようだった。

「気づいてない事って何ですか。こちらには交渉材料がある。正直に教えてください」
「へえ、どんな?」
銀行時代からの、町長の被害者一覧表です。おそらく警察もあなた方も把握してない」
 深夜の病院内で、ひっそりとヴィクトルが温めてきた秘密の一片を、思い切って彼らにぶつけた。

「何ですって!」
 モイラが反応した。しかし、アーサーは眉ひとつ動かさなかった。
「それは凄い。だが、今は特にいいかな。こっちもスクープがあってね、火急のだ」
「スクープ……?」
「ああ。クレイト市の知人から、ようやく調査結果が届いた」

 

 アーサーは数枚の書類を机に放った。

「失踪事件のとき、町長に付いていた警護官2人。どちらも前任のユビキタスが連れてきた人間だ。オーガスタスは町長職を引き継いでから、迂闊にもそのまま使っていた」
「はあ……警護官?」
 向こうからペラペラ情報を明かしてくれるアーサーに、ショーンは調子が崩された。紙には粗い画質の顔写真が映ってる。どこか現実感がない。

「2人はクレイトの優秀な警官だとの触れ込みで、ユビキタスの肝いりでサウザス警察に入った。どちらも州の人民名簿に名前はあったが——クレイト市警に在籍した記録がない。ラヴァ州警察にもだ」
「え————はあっ!?」
 ことの重大さにようやく気づき、声を上げた。

「だが、彼らに紹介状を与えた警察官は実在している。書面も正式かつ有効だ。そいつはクレイト市警の者なんだが、5年前に仕事を辞し、州外へ引っ越している。その後の消息は、不明」
「……なん、って」
 滅茶苦茶だ。
 やりたい放題じゃないか。

 

「……それ、ラヴァ州警やサウザス警察は知ってるんですか?」
 ショーンの背後から、リュカが質問してきた。
「さあね。オレがもし警官だったら、クレイト警察幹部の証印があればそれ以上は調べないかな」
 ショーンの背中に冷たい汗がじっとり流れた。アルバの試験日の時より、遥かにひどい悪寒がする。

 町長の被害者一覧や、コスタンティーノ兄弟の疑惑のおかげで、もしかしたらユビキタス校長は事件と関係ないのでは——という少しの淡い希望が、シュルシュルと散ってしまった。それどころか、状況はもっと悪い方へ向かっている。

「オレはね、彼らは “例の” 奴らなんじゃないかと思ってる」
 怪訝な顔をしたモイラとリュカと違い、心当たりのある紅葉とショーンは、何のことかピンときていた。
 アルバに憧れる人間を集めた組織——。
 もし、彼らも組織の人間だったとしたら——。
「そいつらも……呪文が使える?」

 

 その時、耳障りな音を立てて壁のトランシーバーがビービー鳴った。
「何ですって……ええ。ええ……」
 モイラが深刻な目でブチンと通話を切った。
「まずいわ、アーサー。警護官たちに逃げられた」
 悪いことが起きる時は、たいがい連鎖的に重なっていく。

「おいおい。何をやってるんだ州警察は」
「州警は『デル・コッサ』と『ボティッチェリ』の家宅捜索に入って手薄だったみたい。その件は貴方が、誰かさんにゴチャゴチャ忠告したんじゃないの」

 モイラは厳しい顔でアーサーを睨みつけている。
 リュカと紅葉の顔が、一気に青くなった。