3月8日午後8時。市場から出前が届いた。
皆で新聞が積まれた机を囲み、黙々とヌードルをすすった。
「……ちょっと辛いわね。スパイス効きすぎ」
「そうかい? これが美味しいんじゃないか」
モイラはクールな見た目と違い、意外とピリ辛が苦手らしい。
「紅葉ちゃんは大丈夫かい?」
「はい、大体なんでも食べられます」
「雑食か?」
「……たぶん」
草食のショーンは、あまりお肉が食べられない。だが、紅葉は雑食のリュカと同程度に、ご飯はなんでも食べられた。アーサーはさっきから紅葉のツノをじっと見てる気がする。
紙パックに入ったヌードルを食べ終わり、事務員のナタリーに片付けてもらった。こうして食事を共にしても、緊張感が和らぐことはない。
さて……とアーサーが、オットマン付き社長椅子に、悠然と足を組んで座った。ジョゼフは自分の革張り社長椅子を、恨めしそうにジッと見ている。
「さあ、事件の真相に迫ろう」
彼は角の取れてヨレヨレになった古いスケッチブックを取り出し、濃い鉛筆でシャッシャッと文字を書き込んだ。
「この事件は3つある」
紅葉 (全身)吊り下げ事件
町長 失踪事件
町長 (尻尾)吊り下げ事件
「問題は、犯人が全員同じか、それとも別かだ」
トントンと、鉛筆の頂点についた消しゴムで紙を叩いた。
「事件にはそれぞれに共通点がある」
彼は『吊り下げ』というワードと、『町長』というワードを丸で囲った。
「……私は、町長事件が単独犯とは思えないのよね」
モイラが険しい顔をして見解を語った。
「彼は元銀行員で、軍人並みの訓練を積んでるのよ。警護官もついてるし……たとえ犯行が一人だったとしても、協力者がいておかしくないわ」
ルドモンドの銀行員は屈強な戦士だ。元銀行の頭取であるオーガスタス・リッチモンドも例外ではない。
「なるほどね、他に何か共通点はあるかい?」
アーサーが周りに意見を求めた。
「共通点といってもねえ」
「ふーむ」
モイラとジョゼフが首をひねる。
古くから金融関係で財を成し、サウザス勃興期から続く金鰐族の名家・リッチモンドの現当主と、住民簿にも名前がない民族不明の少女・紅葉。彼らに共通項などあるだろうか。
「…………しっそう」
紅葉が震える声で、テーブルの端に転がる、短いペンで書き加えた。
紅葉 失踪事件
紅葉 (全身)吊り下げ事件
町長 失踪事件
町長 (尻尾)吊り下げ事件
「たぶん………私の失踪自体は、あったんじゃないかと」
「……ああ、なるほど!」
ジョゼフが唸った。赤いチョッキと白い羽毛がふるふる震える。
「でも関係ないかも……」
「いや、その視点は重要だよ」
アーサーは褒めてくれたが、紅葉はぎゅっとペンを握った。紅葉は昔から……本当は、自分の家族が娘を捨てようと吊り下げたのかも……と疑っている。そうしたら失踪ではなく……遺棄事件になる。
「考えることが増えたわね」
モイラは冷静に分析中のようだ。
「僕が考えているのはね、こういう共通点だ」
アーサーが、鉛筆でシュッと書き加える。
明確な殺意がない
「これだ」
コンと、鉛筆の芯で叩いた。片目でちらりと、何か言いづらいものを見るかのように紅葉を見る。
「私は、大丈夫です」
「…………ありがとう」
では、と、彼は紙の前に向き直った。
「この事件は、どちらも『明確な殺意』がない」
アーサーは、広げられたスケッチブックの上に、大きな両手を広げた。
「本気で殺すつもりなら当に殺せるし、そうした方が楽だ」
モイラとジョゼフは何か言いたそうにしていたが、黙っていた。
「もし自分で手を下したくないなら、線路上に転がしとくなり、もっと確実で楽な方法がある」
紅葉が、固い顔で、コクリと頷いた。
「なんらかの見せしめ、誇示………あるいは性癖……とかかしらね」
モイラの眉はこれ以上ないほど吊り上がり、ジョゼフの鼻がヒクヒク動いた。
「だが、亡くなっても……その、構わないから吊るしているんだろう。尻尾の場合は二度と繋げなくなるとか」
「そう……亡くなっても構わない」
アーサーが鉛筆を強く握る。
「──だが現実は助かった!」
彼がサラサラと事件の横に書き加えたワードに、紅葉は驚愕で目を見開いた。
紅葉 失踪事件
紅葉 (全身)吊り下げ事件 ターナー夫妻
町長 失踪事件
町長 (尻尾)吊り下げ事件 ショーン・ターナー
「僕はこう考えている!」
紅葉は、背中の奥からムクムクと蠕動する吐き気をもよおし、テーブルの上に突っ伏した。長年慣れ親しんだその綴りは、事件の隣に書かれた途端、歪んで邪悪に染まって見えた。
鉄と赤土と太鼓の町・サウザス地区。
昼は、あちこちの製鉄所や鍛冶場から、活気あるトンカチの音が響き渡り、夜は夜で、大通りから町の端まで、陽気な太鼓の音が鳴り渡る。
今夜も、太鼓の音が、サウザスの街のあちらこちらから響いているが、その音色は、包むように優しく、静かだった。
《タン、タタ、タンタン、タタンタ、タンタン……》
弔いのような太鼓の音が、出版社の分厚い壁を通して聞こえてくる。酒場で子守唄を叩いてくれたオッズの音色を思い出し、紅葉は背中を震わせた。あの曲をもっと聴いておけばよかった。涙が溢れそうになり、必死で洗面台の端を握ってこらえた。
ショーン・ターナー
使い込まれたスケッチブックに書かれた、鉛筆の文字を思い出し、ガタガタと強い震えが起きた。
(ショーンがこの事件に関係してるなんて、微塵も考えていなかった)
(今朝連れて行かれたのは、アルバだったからとしか……)
(ショーンはまだ役場にいるんだろうか……?)
(警察と一緒にいるなら、身の安全はあるだろうけど……でも)
情報が混濁し、うっプ……とまた吐きそうになり、腰を曲げて洗面台へ齧り付いた。
「ナタリー、紅葉さんの様子は大丈夫かね?」
「ウゥ〜ン、あたしは吐いちゃった方がいいよー、って言ったんですけどね〜」
紅葉はあれから事務員ナタリーに便所に引きずられ、背中をムリヤリさすられたが、気持ち悪さがこみ上げるばかりで、実際には吐けなかった。震えが止まるまで、皆に待ってもらっている。
「にしても、大きくなりましたね〜紅葉ちゃん! 見てくださいよ、退院の時の写真。ちっちゃくてキャワいいんだ!」
「ちゃん付けはよしなさい、ナタリー。彼女は君より年上だろう」
「え、そうなんですか? この時おいくつなんですかねえ」
「知らないわよ。本人だって知らないんだから」
少しだけ空いたドアの隙間から、会話が漏れ聞こえてる。
近くにいるのに、まるで遠い異世界の言葉のようだ。
出版社のトイレの鏡には、青白く、げっそりとした女の姿が映っていた。
「私は……」
名前は紅葉。本名かは分からない。
歳も知らない。ショーンと同じ20歳ということにさせてもらってる。
黒い長髪に黒い瞳。額には円錐形の2本角。どこにでも有りそうな角のくせにどの民族かは解ってない。角の色は気分によって変化する。
今現在は鈍いオレンジ色で、豆電球のように淡く儚く光ってる。
「……っ、」
再び洗面台をぎゅっと握った。指がガタガタ鳴っている。角は花飾りで隠していないと落ち着かない。今朝、役場の一室で感じた惨めな気持ちを思い出した。
「……アーサー、結局この事件は、どういうことなの?」
ヒソヒソと、また新聞室から声がする。
「モイラ、まだ紅葉さんが」
「いい加減にして。これ以上、待ってられないわ!」
イライラさせて申し訳ない。
でも、まだあそこに戻れる心の状態じゃなかった。
紅葉かろうじて洗面所のドアを少し開け、新聞室の会話に耳を澄ませた。
こんなに体が震えて寒気がするような状況なのに、頭の角の芯だけは燃えるように熱かった。
「これはどういうことなの、なぜターナー家の名前を書いたの?」
「アルバ一家がどう関係してるのかね?」
モイラとジョゼフが、アーサーに詰め寄っている。アーサーはハンチング帽を取ってクルクル回した。
「今日の昼、警察署の奥の廊下……死体検案室から、ショーン・ターナーが出てきたのを出版社の窓から見かけた」
「──なんだって、死体検案室!?」
「ヴィクトル氏は何も教えてくれなかったけどね。州警察の発表を待てと」
モイラは相当イライラしているようだ。ハイヒールのかかとで床をゴツゴツ叩く音がする。
「まさか、ショーン君が町長の尻尾を治したと? 10年前に、ターナー夫妻が紅葉さんを治したように」
「治したかはどうかは分からない。でも、アルバとして何らかの協力をしたと見て間違いないだろう?」
……うん、きっとそうだと思う。紅葉も小さく頷いた。
「つまりターナー一家は、アルバとして双方の事件に協力した。──だから何? 彼らはもっと他の事件にも協力しているでしょ」
うん……それもモイラの言うとおりだ。サウザスで殺人なんて滅多に起きないけど……傷害事件とか盗難事件とか……それくらいなら、以前も呪文で調査に協力したりしていた。
「……因果関係が逆だよ」
アーサーは静かに答える。
トン、と鉛筆の芯をスケッチブックの上に落とした。
「僕は “アルバの力を見るために” この事件が起こされたと考えている」
サウザス出版社の新聞室記者、
森狐族のアーサー・フェルジナンド 。
彼は何を知っているんだろう?
10年間で誰も到達しなかった真実を、何か知ることができたのか。
それとも、最初から何か秘密を知っていたのか?
紅葉の身体に、一層大きな震えが起きた。
その拍子に、バキリと洗面台の縁が取れてしまった。
ガガン! とボルトが弾け、金属の轟音に注目と足音がこちらに向かう。
驚いてトイレのドアを開けるアーサーの、エメラルドに光る彼の瞳の裏に、
───燃えるような赤を見た。