第7章【Ivy Vine】アイビー・ヴァイン3

「いかがかね、ショーン君!最近のご活躍は!」
「……はぁ」
 こんなの聞いてない。

 役場に出向いたショーンは、州警によってすぐ別室へと通された。ブーリン警部の片腕らしき狼刑事に、事件の報告書を見せてくれるよう頼んだのだが……

「申し訳ありませんが、ショーン様にはお見せできません」
「いや、僕は事件の協力を……」
「貴方は帝国調査隊ではありませんので。聴きたい事があれば、こちらからご連絡します」
 すげなく返され、クラウディオと共に待機することになった。

「いや、謙遜は結構!私も君ぐらいの歳のころは、向こう見ずで無鉄砲な時期だった!周囲に目を向ける余裕などなかったものでね!」
「そうですね」
「日々難題に応えるべく邁進し、このようにティーカップでお茶を飲む暇など一瞬たりともなかったのだよ!わかるね?」
「そうですね」
「地位を得るとは良いものだ、ショーン君!おかげで今では髪をポマードでセッティングする時間のほかに、尻尾をブラッシングする余裕まで与えてくれる!」
「そうですね」

 こんなの聞いてない。

 

 役場は現在、取り調べが終わった者から通常業務が戻ってきている。一般人はまだ役場内に入れないが、表玄関前の一角に簡易ブースを設けて、受付を再開しているようだ。

 周りはそうして一生懸命働いてるのに、ショーンはひとり、クラウディオの傍で無益な牢獄に囚われている。ティーカップの中身は泥の味しかしない。放っておくと、彼の自慢を一生分聞かされることになりそうだった。

「……あのう、いかがですか? 今回の事件については」
「うむ、順調だよ。ショーン君。捜査は滞りなく行われている」
 クラウディオは、もったいぶったように頷き、ウインクをした。

「町長の肉体は見つかったんでしょうか。それと銀行は調査しました? ユビキタス先生はどうなりましたか?」
「チッチッチッ……それは教えられないなあショーン君。業務違反というものだよ」

 バチーン!と、音が鳴りそうなほど、特大のウインクを投げつけてきた。
「いくら同じアルバのよしみとはいえ、守秘義務があるものでねっ。君も【帝国調査隊】というのなら別だがね! ドゥワッハッハ!

 ショーンは、あらん限りの抑止力で、ポマードまみれの前髪に、ティーカップ内のお茶をぶっかけようとする右手を制止した。

 

 帝国調査隊。

 帝国に許可を受けたアルバが、警察では処理しきれない魔術絡みの事件を、呪文により調査、解決を行う。いわば公的な探偵のような職である。刑事事件だけでなく、民事事件や迷子探し、怪物退治など、扱う内容は多種多様だ。

 その権限は強く、役所や警察に効力を発揮し、その効果は州をまたいで行うことができる。また各地の銀行から、金を借りたり下ろせるようになる。放浪癖のある者や武者修行を行いたい者には、ぴったりの職業だ。

 長いアルバの歴史の中で、この職は、比較的新しく創設された部門に入る。この職ができるまで、アルバは資格を得た州でしか呪文の使用を許可されていなかった。そのため他州の危機に対し、なかなか手出しすることが叶わず、アルバのレベルによっては、荒廃の一途をたどる土地も多かった。

 そうした現状を憂い、464年前、怪物退治専門のアルバ、パーシアス・ミケネが、州権限の一部撤廃を上奏した。時の皇帝は【帝国調査隊】という形でこれを許可し、彼の功績はルドモンド中に跡を残すこととなった。

 それから長らく、調査隊は「怪物退治」という目的にかぎり、使用許可を与えられていたが、139年前に探偵のアルバ、シェリンフォード・ホルムが3州にわたり繰り広げられた一大難事件を解決し──ただし彼は当時、調査隊の資格はなく、すべてが無許可で行われた──これを受け、調査隊の目的範囲は、大幅に拡大されて今に至る。

 現在のアルバも、呪文の使用許可は州ごとに厳密に定められており、ショーンは現在、ラヴァ州でしか呪文を使用することができない。ただし帝都に従事するアルバや、ショーンの両親のようにスーアルバになれば、特権もいろいろ変わるらしいが……今のところ、州を越えた権限を持てるアルバは、【帝国調査隊】のみである。

 ショーンがこの職を初めて知ったのが、魔術学校での最初の歴史の授業だった。経緯を知った時は非常にワクワクし、憧れの職だった。だが現在、帝国調査隊としてサウザスに派遣されるのは、目の前のクラウディオ・ドンパルダスただ一人である。虚しさと切なさが身に沁みる。

 

「ふむ、退屈だねえショーン君──そうだ、私の話をしよう。あれは魔術学校を卒業してすぐの頃、私はさる館にお仕えし、」

 ショーンは、滔々と身の上話をするクラウディオに、ウンザリして目を逸らすと、サイドテーブルに【星の魔術大綱】が置いてあることに気づいた。昨日持ってきてもらった図書館の本だ。何の気なしに手に取って眺めると、何箇所か、色ペンで線が引いてあるのに気づいた。

(おいおい、公共の本に線を引くなよ……)
 特に興味のあるページなのか、呪文の唱え方やマナの増幅法に線が引いてある。ショーンは本には線を引かない主義だ。逆に読みづらく感じてしまう。紅葉も、ショーンと同じでまったく引かない。

(でも、リュカはいつも線を引いてたな)
 前にリュカに手製のレシピ本を見せてもらったが、至るところに赤鉛筆で線が引いてあった。そういえば、母さんはいつも青インクで線を引いたっけ。そうそう、ヴィクトル先生も……。

 ──バタン! ショーンはひときわ大きな音を立てて本を閉じ、クラウディオが飛び上がった。

「……ちょっと用事を思い出しましたので、失礼します」
 クラウディオが何か言いかけようとする前に、ショーンは部屋を飛び出した。ツカツカと足音を立て、長布を翻して役場を後にしたが、ショーンを気に止める者は誰ひとりいなかった。

 

「アントン! いるか、アントン!!」

 向かったのは役場職員の男子寮だ。役所のすぐ裏手、公営庭園の隣の南西にある。(ちなみに女子寮もあるが、男子禁制なので、マドカは嫌がって下宿暮らしだ。)

「アントン起きろッ、起きて開けろ!」
 事件の疲労で深い眠りについていたアントンは、10数回目のショーンのノックで、ようやく起きてドアを開けた。

「うるさあい! いま何時だと思ってるんだ、昼の10時だぞお!」
「シッ、黙れ!」
 ショーンは、スルリと彼の部屋(ショーンの部屋よりさらに汚い)に入り、近くに誰もいないことを確認し……念のためぎゅっと唇をすぼませた。

「アントン、病院の書斎に入りたい」
「はあ、病院? じゃあ父さんに頼めよ」
 アントンは寝ぼけ眼でボリボリと腹を掻いていた。

「違う。ヴィクトル先生が寝てらっしゃるうちに入りたい。怪しまれないように」
「……え?」
「行けるか?」
 アントンは、冷や水をかけられたように、静かに目を丸くした。

 

 小1時間後、ふたりは病院を訪れ……アントンは、忘れ物をしたと、受付から書斎の鍵を貸してもらった。
 鍵を開けた書斎は、つい2日前に訪れた時と何も変わっておらず……しんとした空気が流れていた。
 医学書でひしめき合う中、目当ての本……【星の魔術大綱】が、ひっそりと、左隅に収蔵されている。

 普段から存在は知っていたが……まるで10年越しに対峙するようだった。
 ショーンは背表紙の上に指を置き……ゴスッと鈍い音を立て、魔術書を本棚から取り出した。
 アントンは事情をほとんど理解していなかったが、それでもドアの近くで、人が来ないか見張っていた。
 ショーンは、恐る恐る、古びた本のページをめくった。本の角はすべて擦り切れて、アルバでない者には不必要なほど、使い込まれた形跡がある。

「うわ、あ、あ……っ!」

《単純物体移動》

 その項目には、ショーンが見慣れた字体のメモが、青インクで所狭しと書き記され、多くの線と、数字と、簡単な鍵のような図が、ページの余白に小さくビッシリと書かれていた。

「────うわぁああァァああっ!!」

 ショーンは、腰を抜かして本棚の前に倒れてしまった。ショックで過呼吸になり、肩の力がずるずる抜ける。アントンが寄ってきて腰を起こした。
「アッ……あ、ああああ、ああっ………!」
「落ち着けよ、ショーン」
「なんで落ち着いてられるんだ! この本見ろよ、おまえは……おまえは息子なんだぞ……!!」
「いいから落ち着け、アルバ様だろ」
 アントンは大きな腕でショーンの肩をバシッと叩いた。だがショーンの動悸は止まらない。

「なんで…! なんでぇっ……!!」
 緊張で声がかすれ、声がどんどん小さくなった。アントンは冷静に、ショーンが捨てた本を手に取り、じっくりと書き込みを見つめている。

 

「………ふーっ」
「アントン……おまえ…」
「いいか、ショーン。これは父ちゃんの字じゃない」
 アントンは右手で本を持ち、左手でショーンの肩を支えながら、そう言った。

「えっ……」
「父ちゃんはこんな字じゃない。もっと、もっと……エレガントな字だ」
 エレガント。いつもなら笑って吹き出しているところだが、腰の抜けたショーンには、何のリアクションも取れなかった。ヴィクトルの字ではない?

「僕は…でも……この字を知ってる」
 小さい頃、この字をよく見かけた。小さい、円やかな、文字の流れを、ショーンは確かに見覚えがあった。
「ボクも知ってる。これは…………ユビキタス先生の字だ」

 緑の電流が落ちる感覚を得た。
 遠い子供の頃の記憶。
 黒板にチョークで綴りが描かれる。

 

    Ubiquitous(ユビキタス)

 

 初めての授業で教わった。
 子供にとっては難しい綴りだ。
 みんなで一生懸命、その字を真似て、書きとった。
 ユビキタス先生は教室を周り、ひとりひとり褒めてくれた。
 子供の頃ずっと見ていた。黒板の──あの字。

「ショーン? 大丈夫か、ショー……」
 彼はすくっと静かに立ち上がった。アルバらしく。屹然と。

 病院の書斎から学校を見る。校舎は普段と何も変わらず、子供が中で勉強していた。教壇に立っているには、新任のリリア先生のようだった。1階には大教室、2階は校長室と特別教室。いずれも格子状の窓が嵌っている。町長室の窓の鍵と、確か同じ形状をしていた。

 ショーンは窓辺に立ち、静かに呪文を唱えた。
 空中に残留したマナを見る呪文。

 

【宙に残るマナは馬の通ったわだちのようだ。 《ロストラッペ》】

 

 マナの跡が、ゆっくりとショーンの【真鍮眼鏡】に浮かび上がる。
 学校中の……特に……校長室の窓鍵に、数日が経過したと思われる、消えかけの残留したマナがあった。