第7章【Ivy Vine】アイビー・ヴァイン1

[意味]
・蔦のツル。
・ルドモンドにおけるアルバが所持する【真鍮眼鏡】のこと。

[補足]
Ivyは蔦、またはウコギ科キヅタ属の総称「木蔦」。Vineは蔓、またはブドウ科ツタ属の総称「蔦」を意味する。「木蔦」と「蔦」は別種であるが、形が似たつる性植物のため両者はしばし混同される。大きな違いとして、蔦は秋に紅葉し冬に枯れるが、木蔦は常緑である。オー・ヘンリーの小説『最後の一葉』に登場する「Ivy leaf」は、冬に枯れるためIvy(木蔦)ではなく、Vine(蔦)だと思われる。


 アルバを見分ける手段の一つに【真鍮眼鏡アイヴィー・ヴァイン】がある。

 アルバの資格を得るには、紹介状と試験の他に、この真鍮眼鏡を掛けられることが条件となっている。

 真鍮眼鏡とは、1260年前に光学に長けたスーアルバ、レイブン・アルハーゼンによって考案された眼鏡である。名の通り真鍮色をしており、角度によって金にも銀にも、使い込まれた乳鉢の色にも見える。

 大きな特徴は、作り込まれた美しい細工だ。「蔦のつるアイヴィー・ヴァイン」の小さな彫金が、眼鏡の蝶番や蔓の周りに、巻きつくように施されている。さながら東屋の柱を彩る蔦のように、アルバの高潔さを引き立てている。

 もちろん、ただ美しいだけの眼鏡ではない。この眼鏡を掛けながら呪文を行うと、複雑なマナの調整が電卓の計算のように楽になり、マナを消費した後も高速で回復できるようになる。使用した呪文は眼鏡内に記録(ログ)が残り、遡って確認できる。

 また実用性も抜群で、レンズを調整すれば、双眼鏡、望遠鏡、虫眼鏡としてマルチに活躍し、暗闇で光をビームのように放ち、落とした鍵を探すことも可能だ。

 正式にアルバとして登録されると、州からひとつ支給される。好きな形を選択でき、ショーンは大きな正円のレンズを選んだ。スタンダードな眼鏡以外にも、鼻眼鏡や片眼鏡、真四角や卵型のレンズなど変わった形もあるらしい。製法や材質は秘密裏にされているが、壊れたり無くしたりしたら直ぐに新しいものを作ってくれる。

 

 あなたも掛けてみたいって?──そりゃ無理な話だ。
 マナを持たざる者にとって、この眼鏡は「ルドモンドで最も重い鉱物」よりも重たく感じる代物だ。アルバの規定量を満たさない者には、掛けるのはおろか、持つ事すら非常に厳しい。

 ショーンもアルバに成り立ての時は、鉛並みに重く感じ、毎日やっとの思いで掛けていた。最近は普通の眼鏡よりも軽く感じるようになり、すっかり自分の羊角にも馴染んでいる。

 アルバは【真鍮眼鏡】を日常的に装着して生活することが義務づけられており、大切なアルバの証である。

 

 

 皇暦4570年3月8日地曜日、夜9時。

 鉄格子に囲まれた窓だらけの役所の中で、町長室の明かりだけは、中庭で煌々と瞬いていた。
 部屋には立派な机と応接セット。チェストに書棚に床下金庫。隣室にはシャワーやトイレ、簡易ベッドも完備されている。

「で、町長室の窓の開閉は、君がやったのかね?」
「……違います」
 ショーンは、急遽、州警から取り調べを受けることになった。
 お腹が空いたアントンが、横に立ちながら腹をぎゅるぎゅる言わせている。

「しかし、サウザスにアルバは君だけと聞いているが?」
「アルバでなくても……マナをそれなりに持ち、呪文の訓練をした人なら可能だと思います」
「本当に? この呪文は、どのくらい難しいものなのかね」
「そうですね、単純な動作ですから……そうだ。役場の図書館に【星の魔術大綱ブレイズ・コンペディウム】があるはずです。持ってきてください」

 怪訝な顔をしたブーリン警部に頼んだ。魔術を知らない警察に説明するのも、帝国調査隊の役目のはずだが……一足先に宿へ帰ってしまったクラウディオを強く恨んだ。美容と健康が何より大切な彼のことだ。今頃お気に入りのナイトキャップでもつけて、グッスリ眠っているだろう。

 

 本が到着するまで、クラウディオの調べた呪文痕の報告書を読ませてもらった。

 呪文痕は窓の鍵である取っ手付近と下部に2ヶ所。そこは当然ながら、町長の指紋もべっとり残っている。
 町長は毎日自分で窓の開閉を行っており、役場の人間はこの窓に触れることはほぼ無いそうだ。唯一触れるとしたら掃除人だが、彼らは常に手袋を着用しているので指紋には残らない。

「……この呪文は、窓を閉めるために使われたって事でしょうか。それとも開けるため?」
「そりゃあ 閉める ためだろう。犯人が密室に思わせるためだ」
「えーと……町長が中から自分で開けて、犯人が外から呪文で閉めた……って事でしょうか」
「おそらくな」
「とすると、町長は犯人と一緒に中庭から役場を出て行った……誰も見てないんですか?」

 警察とショーンは、ジロリとアントンを見た。

「なんだよ、僕ぁ知らないぞお!」
「落ち着けよ。中庭を通って出ていったとしたら、警備員は気づかないのか?」
「ウゥン、玄関で応対中なら気づかないかもな……見張りで立ってる時なら気づくけどぉ」
「あの夜の裏門の通行人は?」
「警部ッ、本をお持ちしたっス!」

 部下の刑事が所望の本を抱えて持ってきて、ショーンの質問は遮られた。

 

 魔術大全書【星の魔術大綱ブレイズ・コンペディウム】。

 役場の図書館にも、当然この本は収蔵されている。38年前の152版だ。興味本位でページをめくられた形跡はたくさんあったが、使いこなせた閲覧者はほとんどいないだろう。
 ショーンは町長室のテーブルに本を広げ、お目当ての挿絵が描かれたページを開いた。3種類のイラストレーションが、親しみやすいペン画で描かれている。

 

「普通の人間は、このくらいのマナを持っていると言われています」
 1つ目の挿絵を指差した。巻鹿族の男性が、手のひらの小石を見つめている。親指の爪ほどの小さな石だ。

「そして、アルバになるのに必要な量がこれくらい」
 2つ目。小石を手に持つ男が、近くの大岩を眺めている。背丈の4倍くらい大きな岩だ。

「で、スーアルバはこちら。……まあ今回の件には関係ないですが」
 最後の挿絵。男が大岩の陰から、大きな山脈を見つめていた。

 

「この挿絵のマナを数値にすると、最初の絵で10から20、アルバに必要な値が20000と言われてます」
「ふーむ……」
 ブーリン警部が顎鬚を抑えて唸った。

 ショーンは、呪文の項目へとページをめくる。
「そして、この鍵を閉めるのに必要な呪文を唱えるには……これです、《物体移動呪文》」
「ううむ……複雑すぎて分からんなあ」
 物体移動の呪文は、種類別に記載され、細かい数値や理論がビッチリ書かれている。

「窓の鍵は上下で2箇所。動作としては『棒を上に持ちあげ90度回転させる』そして『フック状の鍵を動かす』……そうですね。全部でマナが2500から3000あればできるでしょう……もちろん練習すれば、ですが」
「2500から3000?」
「この表の通り、マナが3000以上の持ち主は、500人に1人の割合で存在すると言われています」
「500人に……意外といるな」

 本に載っている統計表を見せ、警部が腕を組んで唸った。サウザスに数名いてもおかしくない数字である。

「では、呪文を行なった人物に心当たりはあるだろうか。これが一番肝心だ。これさえ分かれば問題ない」
「…………わかりません」
「何か情報はないのかね。ここサウザスで、キミ以外で、呪文を練習している人や魔術に詳しい人物は」
「……知らないです」

 10年前、両親を待合室で待っている時、話しかけてくれたヴィクトルは、妙に魔術に詳しかった。じっとりした汗がショーンの背中に流れる。呪文が使えるかは不明だが、彼の本棚には古い【星の魔術大綱】がある。

 

 

「ではアルバなら、誰がどれくらいマナを持ってるのか分からないのか? それくらいできそうだが」 
「判別する呪文はありますが、スーアルバほどの達人でないと無理です」
「またスーアルバか!」
「《判別呪文》に必要な数値は……」
「いや、いい! キミにはできないのだろう、あの男にも!
 ショーンは真鍮眼鏡をカチリと持ち上げ、今ごろスヤスヤ眠っているはずの、あの男を激しく恨んだ。

「まあいいだろう。他の人間なら何か知っているかもしれない」
「……そうですね」
 役場や警察の人間なら、誰かしら情報を持っているだろう。

「あの、僕はまだ疑われているんでしょうか」
「ふむ……」
 ブーリン警部は部下と目配せし、ショーンの方へ向き直った。
「いいだろう、警戒を解こう。あの男も保証に付いてくれるようだし」
 クラウディオも少しは役に立ったようだ。

「では、家に帰りま……」
「ターナーさん! アルバには公僕に徹する義務があるはずだ。明日も捜査に協力してもらいますぞ!」
「……うァい!」

 サウザス唯一のアルバ様は、最後に思いきりうめいて、日付が変わる直前にようやく帰宅することが許された。