第12章【Lava】ラヴァ2

 一方、同時刻の『鍛冶屋トール』。

 リュカはあれから眠れずに、キッチンテーブルでじっと頬杖を突いていた。家族は何が起きているのかすら知らず、朝ぼらけのなか寝静まっている。

 やかんがシュンシュンと鳴っている。熱く濃い紅茶を淹れた。クッキー箱を棚から出しザラザラと皿に盛る。テーブルに戻るついでに、新聞ラックに常置しているレシピノートを手に持った。

 テーブルに着席し、紅茶を啜りながらノートをめくる。赤鉛筆でページをコツコツ小突いた。

皇暦4570年3月10日

 

 今日の日付を、なんとなく書いてみた。
 身の回りに起きたことを書いておこう、という漠然とした想いからだったが、ふと別のことを思いつき一旦消して、ここ数日の新聞をラックからまとめて引っぱり出した。

 新聞記事を全部読み、該当箇所を赤鉛筆で線を引き、自らの記憶も思い出しつつ、事件に関係してそうな日付を次々とノートへ書いていった。

 

皇暦4558年(08歳)
01月10日 リュカ、ショーン学校入学

皇暦4560年(10歳)
06月12日 カルマ町長引退宣言
     ユビキタス校長辞任宣言
10月12日 紅葉鉄道吊り下げ事件
12月05日 ユビキタス町長当選

皇暦4562年(12歳)
04月01日 紅葉学校入学
05月01日 鍛冶屋トール、第2工房オープン
08月04日 レストラン『ボティッチェリ』オープン
12月20日 ショーン学校卒業、翌年魔術学校

皇暦4564年(14歳)
12月05日 オーガスタス町長当選(1期目)
12月20日 リュカ、紅葉学校卒業、翌年就職

皇暦4565年(15歳)
01月10日 ユビキタス校長復帰

皇暦4567年(17歳)
07月20日 オーガスタス『デル・コッサ』事件
12月01日 ショーンアルバ合格、翌年帰還

皇暦4568年(18歳)
12月05日 オーガスタス町長当選(2期目)

皇暦4570年(20歳)
03月07日 ショーン来訪、『ボティッチェリ』夕飯
03月08日 オーガスタス鉄道吊り下げ事件
03月09日 ユビキタス拘束、レストランを調査
03月10日 ユビキタス護送

 

 リュカはここまで書いて、ため息をついた。

 ユビキタス校長が辞任宣言した日はよく覚えている。前日が先々代のカルマ町長の誕生日だった。町長から市民へ心づけとして、役場で無料のカップケーキが配られていた。夏が始まる前の暑い日だった。

 初めての出来事にウキウキでショーンと一緒に貰いに行った。ココア色のチョコケーキに、ピンクのクリームと銀のパウダーが乗っていた。

 役場の前でモグモグ食べていると、ちょうど町長が来て演説が始まった。話の内容はほとんど分からなかったけど、演説の最後に『明日、町長職を正式に引退宣言する』と発表したのは、10歳の頭でもハッキリ理解した。

 リュカ達が生まれる前から町長だったカルマさんの引退は大、大、大スクープで、翌朝も町の話題はそれで持ちきりだった。その時点ではフーンと他人事だったけど、学校の朝礼でユビキタス校長が『今年で校長を辞任し、次の町長選に出ます』と、宣言しちゃったもんだから腰を抜かすほどビックリした。

 子供の自分にも関係する話だったのだと、心に深く刻まれた出来事だった。

 

「結局、オレたちの代はユビキタス先生が学校に戻らないまま、卒業したんだっけ……」

 町長たちと学校関連、レストランを中心に年表をまとめてみたけど、特に法則などは見つけられなかった。強いて気になるなら……町長の会期だ。1期で4年務める。カルマ町長は全5期務めた……おそらくオーガスタスも、事件が起こらなければ3期目を迎えていただろう。1期限りで終わったユビキタスがすごく失敗したように見える。はたから見れば、町長の会期への怨恨を疑ってしまうほど……いや、さすがにそんな。

「こうしてみると、62年は大変だったな」

 自分が12歳の年だ。色々あった。まず紅葉が同学年として、途中入学してきたことにビックリしたし、ショーンが魔術学校へ行くため、早めに卒業しちゃった事もショックだった。家は第2工房を作ったことで、両親は毎日慌ただしく口論ばかりしていた。レストランのために作った甲冑像は不気味で怖かったし、新しく雇った職人が金を持ち逃げしたり、あまりいい年じゃなかっ——

「———ねむ」

 やばい。頭の中に靄がかかってきた。
 ショーン、紅葉……今ごろ眠くないだろうか。
 たぶんペーターも、ほとんど寝てないはずだ…………
 友人たちを心配しながら、リュカは、テーブルに突っ伏し、寝入ってしまった。

 

 

「——ヤバイっすね」

 グラニテ地区は、昨晩雨が降ったらしい。
 サウザスからグラニテ地区へ突入した矢先、濃厚な靄が立ちこめ行く手を阻んでいた。

『どうしますか、進みますか?』
 場所は北のオリーブ園の真っただ中、悪夢よりも濃い霧を前にし、一行は完全に足を止めてしまっている。

「クラウディオさん、これはもしや……呪文で生み出したものか?」
 先頭のオールディス警部補が、クラウディオが乗るオープンカーまで、直接走ってやってきた。
「いや……マナを纏ってないから違うでしょう。ただの自然現象ですな」
 オリーブ園の手前までは靄もまだ薄かった。舐めて突っこんだ直後、数歩先も見えなくなってしまった。

「このまま進むのは危険です、警部補!」
「事故に遭いかねません!」
 周りの警官が次々と声を上げた。郊外のためブーリン警部とも交信が通じない。現場判断に任されていた。

「朝靄なら去るまで待つのが最善だろう。太陽が上がれば消えるはずだ。すこし周囲を払ってやるから、みな道路脇に移動したまえ」
 クラウディオが、呪文を唱える構えをとった。

「待て、それも危険だ……! 先に進みながら、霧払いはできないのか?」
「チッチッチ──オールディス君、マナは無尽蔵ではないのだ。闇雲に呪文を唱えながら進んでいては……遭遇時に充分な保証はない」
 クラウディオが優しく諭し、珍しくショーンも大声を出して同調した。
「僕も、マナは敵と遭うまで、満タンであるべきだと思います!」

「——む、いいだろう、皆アルバの指示に従いたまえ!」
 クラウディオは隊全体が見える範囲の霧を払った。そこ以外はオリーブの木々すら見えぬ園の中で、一同は道路脇に移動し、じっ……と待った。

「これは休憩ではない! 警戒を怠るな!」

 オールディスが注意しつつも、隊員はガムを飲んだり、用を足したり、各々のんびり過ごしていた。ショーンも鞄からお菓子を取りだし、ジョンブリアン社のビスコッティをモグモグ食べた。

 

「ペーターさん、はいコレ」

 ショーンが、ココア色のビスコッティを差し出してきた。口の中がパサつくので、あまり気は進まなかったが、1本だけ気持ちとして頂戴した。表面には白い粉糖が振りかけられ、中はアーモンドとクルミがぎっしり詰まっている。

「もう1個いる?」
「や、充分っす」

 ペーターは前歯をムグムグと動かしながら、ミラー越しに紅葉の姿を捉えた。彼女は運転時と全く変わらず、静かに警戒を続けていた。まるで獲物を狙う黒豹のように。一方ショーンは呑気そうに、お菓子をコリコリ嗜んでいる。

「……紅葉さんには差し入れしなくていいんすか?」
「アイツこのお菓子嫌いなんだよ。口の中がパサつくからって……美味いのに」 
「はは、そうッスね……彼女、何か戦闘経験はあるっすか?」
「ないよ。ただの酒場の店員だよ」 
 ショーンはビスコッティを食べ終わり、ザラーっと底の粉を咥内へ注いだ。

「店員っすか……よく志願しましたね」
「僕がいるから付いて来たんだ。そんなこと言うなら僕だってないよ、戦闘経験なんて……どうしたらいいんだろ」
 彼は、また本を開いて項垂れた。

「《テルミヌス》は必須として……戦術魔法……いや四元素はさすがに難しすぎる」
 難しい顔をしてブツブツ呟いている。何か教えてやりたいが、訓練は一両日中に身につくものではない。

 ペーターは左を振り返り、囚人護送車を見た。黒光りする四角い巨大な荷台には、ユビキタスが施錠されて入っている。淡い桃色の朝靄の中で、囚人車だけは異様な空気を放っていた。彼は呪文が使える。そして味方とされる人物も、おそらく——。

「でも、アルバの対処法なら、ショーン様の方がお詳しいでしょう」
「えっ、そうかなぁ……警察はどのくらい対処法を知ってるんだ?」
 ショーンは不機嫌そうに眉を顰め、角をカリカリ掻いていた。

「フフフ……言っていいっすか?」
 州警察が、アルバについて把握しているのは、【帝国調査隊】の名簿と連絡先と、どこまで彼らと協力するか、どれくらい情報を渡すか、それだけ。

「——知らないっす」

 アルバを疑うなんて、警察の教えの中に存在しない。
 こんな体制ではたして無事で済むんだろうか。ラヴァ州警官の制服の中を冷たい汗が一筋伝った。