今日は3月7日火曜日。
時刻は昼の11時を過ぎたとこ。
「じゃあねー」
目的地でショーンを降ろした紅葉は、ギャリバーに乗ってドコドコと消えていった。ショーンは、土埃がついた服をパタパタ払い、郵便局の扉へ向かった。
ここは町の南端──サウザス郵便局。青と藍色の混じったレンガに、赤い屋根、オレンジ色の看板が目印の建物だ。看板には、馬車に乗って小包を届ける、配達人のシルエットが大きく描かれている。
駅のすぐ傍に位置しており、施設は広い。局の裏手には同じ色のレンガでできた巨大な倉庫、荷馬車用の厩舎、車庫が並んでいる。
ここは物流の根幹であり、サウザスの荷物は町内から州外のものまで、手紙や食材、建材、家具など種類を問わず、すべて一度ここへ運ばれる。
毎朝、サウザス駅から始発でここに着いた積荷を、市場へ一気に、荷馬車で運ぶ様子は壮観だ。
もっとも郵便局は町の辺鄙な場所にあるため、普段はみんな郵便ポストを利用している。ポストは、手紙だけでなく、両手サイズの小包くらいは余裕で入る。
だが、隣町の義母へクッキー缶の贈り物ならともかく、帝都へ送る書類となると、ポスト投函は信用ならない。自分の長い尻尾を ”ついつい” 突っこんで掻き回す、うっかり者がいるからだ。
「特金でお願いします」
「封筒3通ね、24ドミーです」
臙脂色のベレー帽を被った局員に、サッチェル鞄から手紙を数通差しだし、けして安くはない特別料金を支払った。宛名に鮮やかなスミレ色のスタンプが押され、重要書類として今日の便で都へ向かう。
用を済ませて外へ出たら、花売りらしき少女が、レンガ塀に背をもたれて佇んでいた。靴の片方の革がめくれて、小さな白い親指が見えている。
列車が通るたび、駅舎に走って売りに行くのだろうか。籠の中身を見るに、売れ上げは芳しくなさそうだった。
「それ、いくら?」
「ひと束1ドミー。きれいなのは1.5ドミー」
ショーンは、少女からきれいなヒナギクの束をひとつ買い、ムシャムシャと食べつつ、次の目的地、銀行へと向かった。
「安いよ、安いよっ。獲れたての焼き魚が1本1ドミー、2本でも2ドミー!」
「トレモロ行き馬車、トレモロ行き馬車、あと5分で発車ァ」
「にいちゃんオレンジ買っていってよ。籠にどっさりあるよー!」
中央通りでは、様々な往来の声が飛び交っている。物売りに声をかけられないよう、ショーンは、なるべくまっすぐ前を向き、銀行へと歩いていった。
サウザス銀行は、郵便局から歩いて15分ほどの場所にある。
西区の中央通り沿い、役場隣の、屋根がドーム型の建物だ。ルドモンドの銀行は、ほとんどがこの円柱型の、特徴的な形をしている。色や大きさは各地で様々で、サウザスは、3階建ての象牙色の建物だ。
中へ入ると、軍服のような制服を着こんだ屈強な男性達が、受付で客の応対し、後ろでは美人な女性局員達が、スラリとした指で、大きな金の卓上計算機をパチパチと打っている。
受付の男たちはショーンを見るなり、コソッと互いに耳打ちし……あれよあれよという間に、上階の応接室へと通された。
「……クソっ」
応接室は、銀行の最上階──ドームの屋根部分に作られている。
ドームの円形天井には、群青色の宇宙と、キラキラとした銀色の四季の星座群が絵描かれている。ここに通される者は数少ない。サウザス住民の大半が、象牙のドームにこんな天井画があると知らぬまま、銀行を利用している。
フカフカの真紅のソファーに座らされ、分厚い赤い絨毯の上を、紅茶とマカロンがどっさり載った金色のワゴンが、ガタゴトと運ばれてきた。あれは高級菓子屋ジョンブリアン社の黄金マカロン。大好物のはずなのに、背中と尻がムズムズする。
北区で育ったショーンにとって、この豪奢な部屋は落ち着かない。
「あの、ボクぁ記帳と金庫を使うだけなんで……こんな事してもらわなくて良いっすよ」
「いえ、町長にお通しするよう ”きつく” 言われてますので」
「……ハァ」
「大至急こちらへ向かうとのことです。少々お待ちくださいませ」
──げえ。
勘弁してほしい。駆け出しのアルバにとって、ここに無条件で通される実績や貯金など碌にない。町長が会わねばならない理由なんて尚更ない。尻尾をソファーの上でしきりにパタパタさせて、背中のムズムズを追い払った。
原則、銀行でしか現金は下ろせないし、預けられない。ショーンはアルバなので、頼めば特別に行員が家まで来てくれる。が、通帳の記録や貸金庫の出し入れは建物内でしかできないため、今日は久々に、この象牙色のドームに赴いたのだ。断じて町長に会いに来たのではない。
カスタード味のマカロンをちびちび齧っていると、屈強な行員が、記録済みの通帳と幾ばくかの現金と、地下の金庫室から小型金庫を持ってきて、うやうやしく差しだしてきた。財布に現金を入れ、金庫から “あるもの” を取りだし、当初の目的を無事終えた。
あまり増えてない通帳の数字にため息をつき、ドームに描かれた星座を、季節ごとに順繰りに眺めながら、紅茶を啜り、待ち続けること数十分──
ドタン! と下品な音が鳴り、扉が開く。
現サウザス町長、オーガスタス・リッチモンドが、金の鱗の尻尾を煌めかせて現れた。
「ショーン様ぁ! お待たせいたしましたぞ!
お久しぶりですねえ! お元気そうで‼︎」
彼はゴツゴツした手でショーンの両手を鷲掴み、引きちぎれんばかりに振り回した。
「いえ、こちらこそ……お久しぶりです、町長」
「そうそう、お昼はいかがですかね!?これからデル・コッサで、ルオーヌ州の新作ワインと鵞鳥のリブロースを頂くのですが、ご一緒に!いえいえ遠慮は入りませんよ‼︎」
「…………大丈夫です、結構です」
「おやショーン様は草食でしたね、失敬!もちろん新鮮な野菜をご用意させますよ!レタスですかキャベツですか、それともトウモロコシ?今すぐ採って来させましょう‼︎」
「いえ……お昼は頂きましたので。恐れ入ります」
ドシーンと立派な金の尻尾で、絨毯をズシンズシンと叩き、金鰐族の町長・オーガスタス・リッチモンドがニィーっと笑った。
震えあがったショーンは、先ほどのヒナギクと紅茶とマカロンをもって、お昼とした。
「若いんだから遠慮せず、どうですか一杯!デル・コッサのシェフも喜びますぞ‼︎」
レストラン『デル・コッサ』は、サウザスで最も高級な料理店だが、オーガスタスが一緒の席では、肉汁たっぷりのローストビーフも砂利の味しかしないだろう。
「すみません、先約がありまして。えー……もうすぐ待ち合わせの時間なんです」
という事にした。
しかし、町長は揉み手を擦り、ゴスゴスと太い尻尾を振っている。
「そうですか誠に遺憾な、いかんいかん!しかしショーン様、昨今のご働き拝見いたしましたよ!ウチのブロークンも非常にお世話になりまして!いやいや有難い‼︎」
「……いえ、アルバとして当然の事をしたまでです」
「貴奴も尻もち程度で骨折するとは、なんてダラシないんでしょうねえ申しわけない!ショーン様が治してくださったおかげで、復帰が4日ほど早まりまして、無事に州会議に間に合いましたわ‼︎」
「……それは、何よりです」
ブロークンは彼の第3秘書だが、骨折の原因は、オーガスタスの分厚いワニの尾のせいだと聞いている。ふかふかソファに投げ出していた、自分の細い猿の尻尾をシュッと服の中に引っこめた。
「いやいや、この間の州会議で他の町長と話合ったんですけどね!改めて感じたことなんですが、サウザスのような小さな町に、アルバ様が常駐してらっしゃるのは非常に奇跡的なことなんですわ!いやありがたい、ありがたいですよお‼︎」
町長がショーンの肩をバンバン叩いた。
「いえ、他のアルバならともかく、僕にはそんな価値はないですよ……」
「イヤイヤイヤ、そんなことは仰らず!それよりまだあの汚らしい酒場に住んでらっしゃるとか!いけませんなあ、アルバ様にふさわしい家を見繕いますぞ‼︎」
「いえ、まだそんなお金もないので」
「何を何を!そんな時こそここ!サウザス銀行ですよ!特別低金利で構いませんので!勉強させていただきます‼︎」
「ハハハ……さっすがぁ……」
金鰐族のオーガスタス・リッチモンド。
彼はサウザス銀行の元頭取である。第55代町長の地位についてもなお、銀行を我城のごとく、顎で使い続けている。サウザスで古くから続く金融家の家に生まれ、金勘定に関してはこと鋭く、現職について以降も、財務関係を厳しく見直し、町の財政を立て直した。
彼の政策により町の住環境は潤ったのだが、サウザス住民の資産状況はすべて彼の手の中にあり、何かと不快感の高い人間である。また、彼のせいで闇市場が活発化しているという噂もある。
町長からは、アルバとして現在これ以上ないほどの高待遇を受けているが、むろんショーンは苦手な相手だった。
「すみません、もう先約の時間でして……帰らないと…っ!」
「こちらこそお待ちいただいて申し訳ありませんな!いやこれから私も『デル・コッサ』でランチの後、財政会議に政策協議に、夕食の後は市場の連中と『ボティッチェリ』で懇親会も入ってまして‼︎」
「大変ですね。僕もすぐお暇しないと」
「ええもちろん! 今後ともサウザスのために、よろしくお願いいたしますぞ‼︎」
「ハイ、それは、もちろん、ええ‼︎‼︎」
ショーンは銀行を飛び出した後、中央通りを夢中で突っきり、デル・コッサから遠く離れた、東区の見知らぬ喫茶店へと駆けこんだ。