[意味]
こつこつ、ドンドン、ダダダッ。
[補足]
ドアを叩く音、太鼓を叩く音、機関銃の音などの擬音語。
──ドンドンドンッ!
下宿所の一番奥の角部屋。そのドアを勢いよく叩く音が廊下に響いた。
「ショーン、お疲れさま。お茶持ってきたよ!」
ノック主は、重い赤樫のドアをこともなげにギイッと片手で開ける。
ツカツカと部屋に入ってきたのは、20歳くらいの笑顔の女性。
ここの酒場の従業員──紅葉だ。
「紅葉、勝手に入ってくるな。治療中だぞ!」
角部屋の主は、両袖をケガ人に向けて伸ばしたまま、不機嫌そうに彼女を見上げた
「うーん……治療するなら、もっと部屋を綺麗にしたら?」
差し入れのお盆を抱えた紅葉は、部屋主の注意にまったく動じず、辺りを見まわし肩をすくめた。
彼の部屋の内部は、紙と布とゴミと屑であふれ返り、およそ人を迎える状態でなかった。深緑色のキャラメルタフィーの包み紙が、床のあちこちに散らばっている。
「いいんだよっ。魔術師の部屋はこのくらい乱雑でこそ威厳が出るんだ!」
ショーンは仕事を中断し、拳に力をこめて持論を述べはじめた。
「へぇ?」
彼女は生返事で答えつつ、床に落ちた埃まみれのブランケットを、そっと抓んでベッドに放った。
「威厳ねぇ……」
パフっと、灰色のフリンジが埃とともに宙を舞う。
「そう、古くは【星の魔術大綱】からタフィーの原材料名に至るまで、すべては魔術師の知恵の源であり、知識の集大成なのである!──ヘイックシュ!!」
埃はショーンの鼻奥へと到達し、治療台の上で盛大にクシャミした。
「……掃除しなよ、ショーン」
ゴソゴソとちり紙を探しながらクシャミを続ける部屋主に対し、紅葉と患者は、揃って大きなため息をついた。
部屋の汚いアルバ、ショーン・ターナー。
彼の部屋は、酒場ラタ・タッタ2階の北西角に位置している。小ぢんまりした一人用の下宿部屋に、これでもかと本と物が詰め込まれている。
重い赤樫のドアを開いて、まず右手に見えるのは、黒い縦長のクローゼットと装飾柱つきのウッドベッドだ。
手前のクローゼットの周りには、季節外れの服や寝間着が、くちゃくちゃに丸まって積んであり、奥にあるベッドの上には、寝る前に読む雑誌やチラシが、これまた無造作に散らばっている。
部屋の真ん中には、椅子が2脚と、譜面台が1つに、古びた星柄のフロアランプ。ショーンはここで毎日アルバの治療を行っている。
左にある患者用の椅子は、背もたれ付きの頑丈なクルミ製。右にあるショーンのは、褪せた緋色布が張られたローズウッドの丸椅子だ。
間には、太鼓隊から譲ってもらった、古いナラ材の譜面台が置いてあり、その上には、大切なアルバの魔術書【星の魔術大綱】が設置してある。
視線を移し、左奥の壁を見てみよう。
数百、数千にも及ぶ書物が平積みされて、天井までそびえ立っている。本の多くは、今は帝都にいるショーンの両親が所持していた物だ。
ここは埃まみれの本の海だが、中には《哲学者の卵》という錬金術用の水晶製フラスコや、ルドモンド大陸を象った《砂月色の天球儀》など、貴重なオブジェも数点、本の間に鎮座している。
本の手前には、黒檀色の勉強机。汚い羽根ペンや万年筆にインク壺、ノートに書きつけと便箋が何百枚と散乱しており、紐糸で縛った手紙や封書が何十束も積まれていた。
いかにも魔術師然としたこの部屋で、唯一、机の傍の本棚だけは、子供時代の教科書や絵本、ボールに楽器、家族写真など、ごく普通の少年らしいアイテムだけが、置いてある。
床には、手紙、雑誌、服、食べかけお菓子の包み紙……。
とりあえず、ショーンの部屋は、汚い。
「この部屋マジで汚いぞ。せめて紙屑だけでも捨てとけよ」
鍛冶屋のせがれのリュカが、ミシッと巨体を揺らして忠告してきた。彼は作業エプロンを付けたまま、丸太のような二の腕を抑えて治療椅子に座っている。
「うるさいなあ、怪我人は黙ってろよ」
「こんにちは、リュカ」
紅葉は無邪気に笑って挨拶したが、ショーンはまだ両手を振って騒いでいた。
「どうしたの。リュカが怪我なんて珍しいね」
「失礼なことを言うな、こいつだってケガくらいする!」
「えーどこ? よく見えないや」
「腕だ、ウデ!」
「ムカデ?」
「腕だよ! 火傷しているだろ!」
ショーンは、患者であり幼馴染でもある、リュカの腕を指さした。
彼の皮膚はロースハムのように綺麗なピンク色をしているが、腕には獣のような栗鼠色の毛がボウボウに生えている。紅葉が一目で火傷に気づかぬのも無理はない。
「火傷かあ。どうしてそんな目に遭っちゃったの?」
「こら、患者に理由を聞くもんじゃない!」
「えーでもケガなんて珍しいし。ほら、リュカって昔から冷静じゃない?」
「冷静じゃない! リュカは碌に体を動かさないだけっ!」
「──お前ら、いいかげんにしろ!!!」
リュカは2人を怒鳴りつけ、治療椅子がミシシッと一際大きく鳴った。この椅子は鉱夫の体に合わせた、頑丈でビクともしない作りなのだが……彼にとっては兎小屋みたいな代物だった。背もたれの間からタップリお肉がはみ出している。
「ああ…ッ!」
「あははっ、邪魔してごめんねリュカ。ショーンも」
急に起きたリュカの地鳴りで、天井の本が倒れる気配を感じたショーンは、縮こまって膝を抱えた。一方、紅葉は軽くあしらい、その場からクルリと背を向ける。
「はいこれ、差し入れ」
紅葉は散らかりまくった文机の上に、銀の平盆をポンッと置いた。盆には波なみお茶が入った木蓮柄のティーポットと、カップ&ソーサーが2組。
「こらっ、手紙の上に物を置くなよ!」
既にグラグラ揺れる銀盆を、ショーンは慌てて持ち上げた。──が、手紙も紙束も耐えきれず、ドシャアン! と見事に床に落ちてしまった。
「今日はショーンの好きなファンロンの緑山茶だよ。じゃあね〜」
周囲に紙が散乱し、呆然と盆を持つショーンに手を振って、バタン! と紅葉は勢いよく帰っていった。
ドアを閉めた風圧で、封筒がフワリと2、3舞う。
風が、去ったようだった。
「ほら見ろ……いつかお前の方が怪我するぞ」
リュカは火傷した腕をかばいながら、床にかがんで紙を拾い集めるのを手伝った。床にこぼれた万年筆の青インクを、灰色のブランケットでゴシゴシ拭いた。
「うるさいなぁ。今忙しいんだよ」
ショーンは机に積もった埃を、長い猿の尻尾で、器用にサッと一振りして床に落とした。その上に慎重に盆を置き、ティーポットの蓋を開ける。
中のお茶の様子を見ると、予想より濃いめに煮出されてるのに気づいて、クリーム色の丸い羊角を、爪でカリカリ掻きむしった。
「最近イラついてること多いな、一体どうした?」
「しょうがないだろ、思春期なんだよ」
物は積めども、壁には何も貼らない主義のショーンだったが、唯一ベッド脇の壁にだけは、紅葉に貰ったミモザのポプリが吊るされている。
群青色になってしまったファンロン州の緑山茶を、彼は壁のミモザの方向を見ながら、しかめ面でグイッと飲み干した。
「しょうがないとか言うな。お前は、この町、唯一の大切な──」
羊の頭角と、猿の尻尾を有する羊猿族は、
羊の慎重さと猿の才智を持ち、
ルドモンドで最も叡智に近い種族とされる。
羊猿族ショーン・ターナー。
両親は共にスーアルバ。
「──アルバ様なんだから」
今年で20歳。アルバになって3年目。
本人曰く、現在思春期中のショーンは、2煎目のお茶を注ぎながらイライラと長い尻尾を宙に振った。