[意味]
ルドモンドの警察組織において、要人の身辺警護を専門とする警護官のこと。
[補足]
要人の傍らに立ち、警護する様子を「Wall clock(柱時計)」に見立て、そこへ「lock(鍵)」とかけたルドモンド警察の用語である。公的な要人警護は様々な名称があり、例えば米国では「Secret Service」、日本では「Security Police」と呼ばれている。軍や警察など各国によって担当する行政機関は異なるが、ルドモンドでは警察組織が担当している。
3月10日風曜日、朝7時半。
冷たい朝露が、ネムノキの葉からぽたりとこぼれ落ちた。
「ハァイ、ダーリン。いつものよ〜」
レストラン『ボティッチェリ』の玄関口に、野菜卸しのソーシャが瑞々しい青果の詰まったカゴを下ろした。
「見てみて〜。人参、玉ねぎ、赤カブ、パースニップ、ふふ、セロリもあるよー」
「ご苦労だソーシャ。うむ、今日も色艶がいい」
「でしょう、ふふ」
オーナーのジャンが収穫物をざっと確認し、ソーシャは、パチンとウインクを送った。ジャンは彼女のウインクに一瞥もくれず、領収書の束を受けとり、算盤をパチパチ弾きはじめた。普段、真っ先に食材をチェックしに来るシェフのピエトロは、なぜかキッチンの奥でゴソゴソしている。ソーシャは気分良く、カウンターに頬杖をつき、算盤を弾くジャンの横顔を下から見上げた。
「……ねえ、ぶっちゃけ昨日の晩どうだったの。無事だった? 州警察が来てるって、みんな心配だったんだからァ」
「問題ない。そもそもウチは何もしてないからな」
「そおなのォ? じゃあなんで警察がレストランに来たのよ〜。ガサ入れってヤツじゃないの」
「知らん。2階から地下室まで全て調べられた……何も出てこなかったようだが。フン、最後は逃げるように出ていったよ、何だったのかね」
弾き出された数字を、金軸のペンで伝票紙にシュッと書き留め、ジャンが軽く鼻で笑った。
「マァお気の毒。じゃあ今朝は寝不足でしょ?」
「それが兄弟まとめて地下のワイン蔵で待機させられてね、おかげですぐに熟睡してやったさ」
「あら、うふふっ——どうりで首にお酒の香りが残ってる」
鼻をヒクヒクさせたソーシャが、カウンターへと身を乗り上げ、ジャンの耳元で囁くように声を潜めた。
「ねぇ……ご近所のウワサじゃね…」
「何の話だ」
「ふふっ……ここの甲冑サンが、町長の尻尾を切ったんじゃないか……って」
「——ッ、そんなはずない!!」
バン! とジャンが両手で強くカウンターを叩き、ソーシャは腰を抜かして転げ落ちた。
「あれは警察が当日に調べているんだ!何の血痕も指紋もなかった、関係あるはずがない!」
「ワッ、ごめん、ごめんよッ……あたしはただ、冗談で…!」
「それをいつまでもゴソゴソガサゴソと!勝手に斧を持っていくわ!何がアルバの調査だ、警官しか来なかったぞ!」
「わわ、わかってる。ご近所の勝手なウワサだってば……!」
「犯人はユビキタスだ!朝早くに護送されていったじゃないか!うちはまったく問題ない!」
「————ジャン、問題だ!」
ピエトロが奥から出てきた。
顔を真っ赤にし肩をいきらせたジャンと対照的に、ピエトロは顔面蒼白で、肩をカタカタ震わせている。
「どうした、兄さん。そんな顔をして」
「包丁が1本消えている…………み、店でいちばん、大きいのだ」
店でいちばん、大きな包丁。
骨まで絶てる、肉切り包丁。
町長の事件が起きてから今日で3日目。
レストラン『ボティッチェリ』の朝は、最悪な形で始まった。
だだっ広いオリーブ畑を抜けて、左前方に町が見えてきた。
鳥と陶器と果樹園の町──グラニテ地区。
小ぶりでコンパクトな住宅街と、それを囲むように果樹園と陶窯が広範囲に点在している。果実の木が広がる緑のぽこぽこした絨毯内に、時おり赤い陶窯が煙をたなびかせている。煙と木々の間を多くの鳥族が悠然と空を舞い、おとぎ話のような雰囲気を醸し出している。
グラニテで一番有名なのは果樹園、中でもオリーブ畑だ。グラニテのオリーブは味が締まって美味しく、ラヴァ州で消費される食用油のほとんどを賄っている。その他マルメロ、リンゴ、イチジク、クルミ、ヘーゼルナッツ等々、果実の木々が季節や土壌の変化に合わせて植えられ、そこかしこで実が生っている。
惜しむらくは、ルクウィド森から多くの鳥が日々来襲してくる点だ。果実目当ての野鳥から木を守ろうと、空を飛べる民族が優先的に雇われていき、いつしかグラニテには鳥民族が多く住むようになった。
また、果樹とともに有名なのが陶器産業で、甕や鉢、水差しなど、大振りの赤い陶器が作られている。比較的シンプルな絵付けで、値段も非常に安価なため、サウザスでも市場で大量に売られている。そして豊富に採れる粘土を活かし、煉瓦も多く作られている。様々に色づけされた煉瓦が町の外壁や家壁を彩っている。グラニテ町のカラフルさは、ラヴァ州随一だ。
ショーンも、祭りの時期に何度か遊びにきた事があるが、たくさんの果物のキャンディー棒が立ち並び、極彩色の鳥民族が通りを行き交い、色とりどりの壁のレンガと相まって、空の上の虹の国にいるようだった。
そんなグラニテの思い出話を打ち砕くように、護送団は州街道を逸れ、右の畑道へ向かった。赤土の平原に建つパステルカラーの町並みは、たちまち視界から消え、延々と続く緑の果樹園畑をひた走っていく。
サウザスを出てから3時間近く経過していた。涼やかな朝の日差しの中、オリーブ畑をギャリバーに乗って走っていると……ハア、これがピクニックだったら最高だったのに。ショーンはため息をついて、左側にいる囚人護送車の方を見た。
黒塗りの大きな檻が、ゴトゴトと輸送されている。横に大きくラヴァ州警の紋章が描かれ、天辺近くと足元に、細長い小さな換気用の窓がある。中の様子は見えないが誰かが居ることは感じ取れた。ユビキタスは、あの中に、呪文対策の轡を嵌め、四肢と胴体を拘束されて座っている。ショーンは直接、彼の姿を見てないが……昔、本で読んだ囚人護送車内の写真を思い出し、ブルリと顔を左右に振った。
『──彼は、魔術学校へ通うには、己にマナが足りないと感じていたようだ──』
幼なじみについて語る、ヴィクトルの顔が反芻される。魔術学校へ通うことなく、アルバ並みの呪術を習得するのは難しい。学校に合格できないレベルなら尚更だ。だが、紅葉から聞いた組織の話……あれが本当なら、ユビキタスも組織内で鍛えて、呪文を体得しててもおかしくない。
「ペーターさん。警察の使う拘束具って、簡単には外れないですよね?」
「囚人拘束具っすか? 無論っす。いちばん力の強い民族にあわせて作ってますから。各部位に頑丈な鍵もかかってますし、鎖もたくさん繋がれてるっす」
「そっか……」
「まさか拘束具だけを破壊する呪文とか、あったりします?」
「破壊?……うーん、できなくはないけど、肉体の方も壊れそうだな……鍵開けの呪文なら一応あるけど」
「——鍵開け!? それされたら堪ったもんじゃないっすよ!」
ピーターは目を丸くして、頓狂な声をあげた。
「いや鍵開けっていっても、やってること自体は、物体の単純移動だから……鍵によって難易度は全然違うんだ」
「そうなんすか? 難易度ってどれくらいですか」
「町長室の窓くらいなら簡単だけど……銀行の地下金庫とかだったらサッパリだ」
「あの『リトゥラビ・リトゥラビ・ダーダーダー!』の魔法みたいに、パッと鍵が外れるんじゃないんすか」
「まさかぁ! 鍵開け職人が使う工具を、マナを使って代用するだけさ」
思わぬところに食いつかれてしまったショーンは、さっさと補足して次に行こうとしたが……ヒラヒラと呆れて手首を振るショーンと対照的に、ペーターの目がやや懐疑的なものへ変化していく。
「ショーンさんは……その、鍵開けの呪文、できるんすか?」
「できるわけないだろ。僕は鍵開け職人じゃないし」
「えっ」
「拘束具の鍵穴がどうなってるか知らないもん。頑丈ってことは、どうせ内部も複雑だろ」
「……つまり、鍵の内部構造をきちんと把握してないと、できないと?」
「その通りっ!」
「…………。」
『——呪文って、意外とコスパ悪いのね』
マッチョで真面目なウサギ警官は、以前、首を90度にひねったマドカが上記の言葉を放った時と、同じ顔を浮かべた気がした。ショーンは宙でヒラヒラ振った手の平を、静かにそっと握り込み……【星の魔術大綱】の表紙の上へきゅっと下ろした。
世間がイメージする呪文の万能さと、現実の呪文が実行可能な範囲とで、確執が起こるのはよくある話だ。例えば『数十枚の皿を食器棚にしまう』ミッション。これは、両手を使えばものの数分で達成できるが、呪文でそれを完遂するのは、途方もなく手間とマナと時間がかかる。ドアや窓も、鍵穴を開けるより蝶番をぶっ壊したほうが、断然早い。
「…………くそっ、呪文は魔法じゃないんだっ!」
ダーダーダーのお話みたいに、魔法の杖をサッと振ればササッと解決——なんてできるか!
ショーンは【星の魔術大綱】をぎゅっと握りながら肩を落として、小さな声で不満を漏らした。
彼の嘆きを、大きな耳で聞き取ってしまったペーターは……申し訳なさそうに、ウサ耳をチョイと右下に傾けた。