アントンはしばらくメソメソし、時々グシュンと持参の毛布で鼻をかんでいた。(おそらくショーン用の毛布だった。)
「まあ……僕も拘束されてるようなもんだし、ただの事情聴取だって」
「………ヒック……グスッ、父ちゃんんん……」
「そうだ、夜警の聞き取り捜査はどうだったんだ。何か変なこと聴かれたか?」
「ボクは……昨日、裏玄関の見張りだったんだ」
「えっ」
「町長たちが夜中に帰ってきて、鍵を開けてお通しした」
「ええっ」
──何てこった。何だってこんな……昨日会った知り合い達が、次から次へ事件に関係してくるんだろう。新聞の青インクの苦い味を思い出す。吐き気をグッとこらえながら、アントンの話を詳しく聴き始めた。
「昨日、ボクが裏玄関の警備だったとき、町長たちがベロベロに酔って帰ってきたんだ。夜11時くらいかな。夜は玄関扉が閉まっているから、警備員がお通しするんだ」
「それ記録とかつけてるのか?」
「ないよそんなの。でも交代して1時間は経ってたな」
「交代?」
「あー、役場の夜警はだいたい4人で回してるんだ」
夜警が、昼の警備と大きく異なる点は、訪問者を通す役目がある事だ。
夜の役場は、扉の鍵こそ閉めているが、夜行性民族に対応するため細々と運営されている。結婚届や離婚届だって提出できるし、本も借りれるし裁判も起こせる。
夜間職員はだいたい30人で、警備は4人。夜警は、表棟・裏棟の巡回と、表玄関・裏玄関の見張りを3時間交代で行なっている。昨晩アントンは、夜10時から深夜1時まで裏玄関の担当だった。
「待てよ、夜警って中庭や外周は見張ってないのか?」
「見張らないよ。何かあったら裏門や正門から駆けつけられるし」
何かあったじゃないか。ショーンは思わず言いたくなったが、グッと黙って話の続きを促した。
「昨晩、町長は……そう、泣いてたな」
「泣いてた⁉︎」
もしや、何かあったのか? ショーンは思わず立ち上がったが、
「お前知らないのか。金鰐族は食事のとき涙を流すんだよ」
「へ、へー……?」
「つまり町長は、食事の後すぐに来た、って事だな」
「……なるほど」
ストンと、おとなしく椅子に腰掛けた。
いつも粗野で横暴なくせに、たまに鋭い見識を見せてくる。彼はこれでもサウザス勃興の父、ブライアン・ハリーハウゼンの子孫なのだ。
「町長も、警護官も、みんな真っ赤でベロベロに酔っ払ってて、ものすごいチェリーワイン酒の匂いがしてた」
「……警護官もかよ」
それは罰則ものじゃないかと、ショーンが呆れていうと、町警察長がものすごい怒ってたと、アントンが答えた。
紛らわしいが「警備員」と「警護官」は別物だ。アントンやマドカら警備員はただの役場職員に過ぎないが、警護官はサウザス警察の刑事である。彼らは通称「ウォール・ロック」と呼ばれる要人警護専門のエリートなのだ。
「町長はいつも、酔って夜中に帰ってくるのか?」
「まさか。残業はよくあるけど……深夜、役場に戻ってくるのは珍しいよ。しかも酔っ払った宴会後だろ? 僕が見たのは初めてだなあ」
オーガスタスが町長になって今年で6年目だ。それで見るのは初めてという珍しい状況……。ショーンは腕を組んで考え始めた。
「で、ちょうど持ち場を離れる直前に『町長が消えた!』ってトランシーバーが掛かってきたんだ。その後はみんな大で捜索さ。後からサウザス警察も駆けつけてきた」
「いつ頃だ?」
「連絡は深夜1時だよ。警察が来たのはもうちょい後だけどぉ」
「アントンはどこを探してたんだ、次の担当のとこか?」
「それがさあ、ホントは表棟の担当だけど『そこで見張ってろ』って先輩に言われたんだ!」
アントンは、ズビッ! と毛布で鼻を噛んだ。
「だからずーっと裏玄関に立ってた。朝までだよ、酷くない? 立ちっぱなしって腰に悪いから参っちゃうよ」
「あ、ああ……」
「なんで僕は探してない。役場の様子もよく知らないんだ。あ、表棟はすぐに町民を追い出して、通行禁止にしたって聞いたなあ」
「追い出したって……犯人かもしれないじゃないか!」
「知らないよ。役場の職員はずっと家に帰れてないんだ! さっきまでここのベッドで寝てたんだぞぉ、窮屈だった!」
役場は、災害時に対応するため、簡易ベッドやシャワー、ふかふか毛布を完備している。アントンが持ってきた毛布は、既に鼻水でドロドロになっていた。
「……話を戻そう。お前はどれくらい裏棟の玄関にいたんだ?」
「えっとぉ、夜10時から朝7時までかな。ずーっと立ってたんだ、疲れたよ」
「その間、町長の姿は見てないよな」
「当たり前だろ。みんな役人か、警察か、警備員の制服を着てた」
「じゃあ……町長が『制服を着て』、出ていった可能性は?」
「失礼な。ボクだってそれぐらいはチェックしてる。あんな太い鰐の尻尾をしてれば気づくよ。あの夜、金鰐族は、ぜったいに町長しか見なかった」
「…………そう」
「あ、違った。明け方に奥さんが来ていたな。奥さんも入れて2人だ。それしか見てない」
そろそろ涙が枯れてきたアントンは、最後にひとつ、ズビーッと思いきり鼻を噛んだ。
いいかげん気が滅入りそうになったショーンは、会議室の窓を開けて新鮮な空気を取り入れた。すっきりとした夜風が心地いい。鉄格子越しに中庭を眺めると、皓々と光が漏れる町長室がここから見える。
「なあ、アントン。町長室って何で鉄格子が無いんだ?」
「知らないよ、無粋だからじゃないか」
「昔はあった気がするんだよなあ。僕が子供のころ見た記憶では」
「フン、ボクが就職した時から無かったぞお、7年前にはもう無かった」
「んー…そっか」
新聞記事の通りならば、オーガスタスは、あそこから消えたと思われる。
窓の外で、数名のラヴァ州警官が作業していた。
見慣れぬ制服の色の中で、ショーンの見覚えのある人物がひとり、町長室の外で、仁王立ちしている事に気づいた。
「……あれ?」
ショーンは、アルバが常に掛けている【真鍮眼鏡】を調整し、拡大モードにして、姿を捉えた。
“彼” は、真鍮眼鏡の調整で、ショーンが消費したマナを即座に察知し、2階の裏棟端にある、会議室の方をゆっくり見た。
──バチン! と閃光が飛び散るような感覚に陥った。
まるで魔術師同士の決闘のように、ショーンの目と彼の目が、ぶつかりあった。
数分後──
ショーンとアントンは、町長室内のソファーに、ちょこんと座っていた。 対面には、大柄の男が優雅に座っている。
ポマードをタップリ撫で付けた黒の髪。帝都で仕立てた赤紫のスーツにマント。首には真紅のシルクスカーフをたなびかせ、右胸に、帝国調査隊と刻印された白銀メダルが煌めいている。尻尾はマントで見えないが、桃色の、短くカールした尻尾をお持ちだ。そしてアルバの証、真鍮眼鏡のレンズは、ツヤツヤ艶めき、左右の眼鏡のツルには、キラキラした宝石の眼鏡チェーンがぶら下がってる。
彼の名は、クラウディオ・ドンパルダス。
桃白豚族。オックス州出身のアルバである。
「やあショーン君。お久しぶりだね、何かやらかしたのかい?」
「……僕は何もやってないですよ。疑われてるんですかね」
ショーンは、彼の隣に立っている、ラヴァ州警官を横目で見た。顎髭を蓄えた恰幅の良い、いかにも警部といった風貌の男だ。若いアルバに睨まれて、少しムッとして見返している。そんなバチバチした様子はどこ吹く風で、クラウディオは白手袋に包まれた右手を、優雅にショーンへ差しだした。
「君の【真鍮眼鏡】を貸したまえ」